2011年5月5日木曜日

自己と他者の均衡点

自己と他者の関係について、考えてみた。

“均衡そのものが善なのだ。”

村上春樹も、孔子も、釈迦も言っている。
おそらく、これは、正しい。

ただ、“均衡”が善として、“均衡点”をどこに置くか、が、重要なのだ。
社会で生きる上では、“自己と他者の関係の均衡点”を探らなければならないのだ。

“ほぼ”全てのことは、相対化される。

社会において、たくさんのことが、数値化され、比較・相対化される。
だからこそ、人は、絶対なるものを求め、それがあることを強く信じている。

かくいう自分自身も、絶対なものがあると信じている。
何ものにも、換え難いものがある、と。

でも、それは、あくまで、自分自身にとってだけで、
他者から見れば、“絶対”でもなんでもなく、数字に置き換わる。

だから、バランスなのだと思う。
全ての人に、“絶対” と思われるものがあり、それを思考に入れる必要がある。

ただ、思考だけをぐるぐる巡らしていても、おそらく均衡点は見つからない。
それを見つけるには、補助線がいる。

そして、この問題を解く補助線になりうるのは、
自己でもなく、他者まで遠くない誰か、なのではないか…。

具体的には、家族や友人、読書なのだと思う。

だから、家族と話し、友人の意見を聞き、読書に耽るのだと思う。
そして、そのプロセスは、一生続くのだと思う。社会で生きている限りにおいては。

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