よし!
今日も、一日、がんばろう!!
西洋文明が、雪崩れ込んだ明治期の人間模様を、 司馬遼太郎は、『坂の上の雲』として、表現した。 その冒頭には、 「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている」と 記している。 あれから、100年以上が経つ。 平成のニッポンは、デフレの中で、喘いでいる。 だが、知恵と企画で、坂の上まで、到達すると信じたい。 そして、その頂きには、一筋の光が差し込んでいるはずだ。 日々の中の多様な出会いを通して、 自分を含めて、まわりの人と、 ゆたかに、たのしく、すこやかに、 なれるよう考えて、行動していきたいと思います。 読んでもらえる人に、そんなことが伝わればと 願っています。
2008年9月25日木曜日
2008年9月24日水曜日
【「私という病」】
「私という病」という本を読んだ。
中村うさぎが、ホストとの恋愛、デリヘル嬢体験を通して、
獲得した言葉が、つづられている。
利益が上がるなんて、話ではない。
でも、すごくゆさぶされる。
前書きをご紹介する。
言葉にする感想は、どこか空々しい。
でも、何か、書き残したい。
このザラザラとした気持ちを。
この本の中で東電OL事件を扱っている。
被害者がまるで憑依したような文章。
オンナのプライドも、悔しさも、喜びも、
にじみ出ている。
「欲情されたいんじゃない、欲情させたいんだ。」
この女としての存在価値をかけた一言が突き刺さる。
気持ちの整理がついて、書く機会ができたら、
また感想を書こうと思う。
なので、今日は、このへんで、おしまい。
中村うさぎが、ホストとの恋愛、デリヘル嬢体験を通して、
獲得した言葉が、つづられている。
利益が上がるなんて、話ではない。
でも、すごくゆさぶされる。
前書きをご紹介する。
それにしても、「体験」というものは、不思議なものである。
その時には何とも思わなかった光景や聞き流していた言葉が、しばらく時間を経てから急に気になってきたり、徐々に意味を帯びて来たりするものだ。今回のデリヘルの場合、客とのやり取りもさることながら、働く前に受けた研修の際に社長が口にした言葉を、この頃、不意に思い出す。「まぁ、こんな仕事を選んだってことは、あんたにもいろいろ事情があるんだろうと思うけどね」研修がひととおり終わった後、ベッドの上に裸で座って、社長は言った。「いつ辞めるかという目標を、今のうちから自分で決めといたほうがいいよ。たとえばお金なら、いくら貯まった時点で辞めようとか。それとも、半年だけにしようとか、期間で決めてもいいしね。とにかく、そうやって辞めるべき区切りを設定しないと、ずるずると続けちゃって、五十の声を聞いても辞められない羽目になる。そんなデリヘル嬢が、いっぱいいるんだ。そうなったら、地獄だよ」「どうして辞められなくなるんですか?」「ラクだからだよ。今は嫌だと思ってるだろうけど、慣れればラクなんだ、この仕事は」結局、私は三日出勤しただけで辞めてしまったため、彼の言う「地獄」を見ることもなかったし、「慣れればラク」という境地にすら達しなかった。が、今頃になって時々、「五十の声を聞いても、客が激減して生活が苦しくなっても、ずるずるとデリヘルを続けている自分」が亡霊のように脳裏に浮かんでくるのだ。それは、私が選択しなかった「もうひとりの私」である。今は黙って佇んでいるだけの彼女だが、そのうちに、口を開いて何事かを話し始めるかもしれない。彼女が私に何を囁きかけるのか……それが恐ろしくもあり、楽しみでもある私 なのだ。
言葉にする感想は、どこか空々しい。
でも、何か、書き残したい。
このザラザラとした気持ちを。
この本の中で東電OL事件を扱っている。
被害者がまるで憑依したような文章。
オンナのプライドも、悔しさも、喜びも、
にじみ出ている。
「欲情されたいんじゃない、欲情させたいんだ。」
この女としての存在価値をかけた一言が突き刺さる。
気持ちの整理がついて、書く機会ができたら、
また感想を書こうと思う。
なので、今日は、このへんで、おしまい。
2008年9月23日火曜日
【「見る」ということ “常識”に照らして考えよ。】
古新聞の中にある記事を発見
日経の夕刊で、松井 今朝子さんの
小泉 八雲の「常識」という話を
ベースにしたエッセーが載っていた。
象に乗った普賢菩薩 |
「象に乗った普賢菩薩を拝む和尚。
それを嘘だと見破る猟師。」
功徳を積んだ和尚はだまされ、
猟師には、なぜウソだとわかったのか?
10秒かんがえてください。
答えはこちら↓
高僧が見た普賢菩薩の正体は?
この記事は「物事の本質を見るということ」を、
わかりやすく伝えてくれていた。
①「常識」で考える。<普通だったら・・・。>
②「なんでだろう」と考える。<なんで?誰が得する?目的は?>
「常識」に照らして、「なんでだろう」と
考える癖を身につけよう。
その時、全ての答えがわからなくとも、
“わからない”と答えがあるだけで、盲目的に信じずにすむ。
この癖は、きっと身を救う。
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