2013年5月20日月曜日

【転んでもタダでは起きぬYahoo 商魂のたくましさ】


 
yahoo
YahooIDを持っている人は、絶対気になるはず…。




あちゃーーー。


反省すべきは反省してもらいたいし、
無料とはいえ、インフラ化しているサービスなので、
安全性も担保してほしい。

ただ、起きてしまったものは、しょうがない。

専門外なので、情報セキュリティの観点とかで論じませんが、
ただ、Marketing的には、非常に面白いなと思ったので書いておきます。

まず、不正の可能性を心配して、
 Yahoo! JAPAN IDの状況確認をしに行った。


すると、

ドーン!!!!!

先着モニターか・・・

ばっちりバナー広告が出るという寸法。

少なくとも、2200ID流出ってことは、
可能性としては、それと同じ、それ以上のUUが稼げる計算になる。
 だとしたら、どれだけ広告効果高いか…
(もちろん、賛否の両論はあると思いますが…。)

ネット上は、決済が容易なので、
あらゆるところが、“コンビニの棚”になる。

自社の“事故”すら、ビジネスにしてしまうことに、
転んでもタダでは起きぬ、Yahooさんの商魂のたくましさを感じました。

眉をひそめる方もあるかもしれませんが、
これも一つのテストマーケティング。

「人生すべて実験である。
    実験の数は多ければ多いほどよい。
        失敗したら、もう一度起き上がればよい。
            転んだって何ともない」
                           ラルフ・ワルド・エマーソン

死ぬ以外はかすり傷。
さすが、爆速な会社である…。

2013年5月15日水曜日

【Why we have too few women leaders?】



自分は、なぜ(=Why)・・・”を問う視座を使って、
市場という競争環境の中に切り込むゆえに、 【Marketingは、武器である】 という話をご紹介した。 それと全く同じ手法で、社会を照射したのが、 FacebookのCOO(最高執行責任者)に就く シェリル・サンドバーグ氏がTEDで語った、 「Why we have too few women leaders?」だ。
彼女曰く、
『働く女性をめぐる2つの問題』があり、  ①幹部に登り詰める女性が少ない。 ②職場の出世と職場の充実の厳しい選択に迫られ、辞めてしまう。 『問題解決に個人ができることは?』については、
①(会社と)交渉しましょう ②パートナーと対等になりましょう ③最後まで、とどまりましょう だそうです。
面白く、そして、重要な考え方だと思います。
男性からの立場で語ると、語弊を生むかもしれませんが、 “総論賛成、各論反対”ってならないようにしないと。 また、事実として、これだけ数のすくない状態なら、 そこをいじるところから、まず始める必要がありそうですね。

2013年5月14日火曜日

【行列とMarketing】

行列は、売れてる証か、不満の温床か…


昨日は、原宿でランチミーティング。
うまい中華をごちそうになりました。ヽ(^o^)丿
S先輩、ごちそうさまでした。<(_ _)>

さて、ちょうどその店に向かう時に目に入った、長蛇の列!!
すごいですね、気温が夏日に届こうかというお昼間なのに…。

どうやら、お目当ては、話題のギャレットポップコーンの様子
(平日の昼間なのに、
なんと時間待ち!(@_@;))

さて、この行列をどう見るか?

A】長い行列は、話題の証!→持続させよ。

B】長い行列は、お客様を待たせる不満の温床→解消せよ。

どちらの立場も、一理ありますね…。

では、Marketing的に整理してみましょう。

Marketingとは、『Market(市場)+ing(進行形)』。
進行形(ing)つまり、
動く市場に合わせる行為の全体


前回は、お客様(相手)の気持ちを量り、
市場規模やタイミングを計るという側面を
Marketingとは計器である。」という言葉で考えてみました。

今回は、
動く市場に合わせる行為の全体
提供者(自分)主体で考えてみましょう。

キーワードになるのは、
Marketingとは武器である。」です。
 ちなみに、「武器」と言う言葉を、次のような意味で使っています。

①戦闘や狩猟に用いる道具や器具の総称
②人間や動物がもつ社会競争で有効な長所や生き残りの手段
          (Wikipedia武器より一部抜粋)

Marketingとは武器である。」と言えるのは、なぜか?

 それは、Marketingを、動く市場に合わせる行為の全体と考えた場合、
自分は、なぜ(=Why)”を問う視座を使って、
市場という競争環境の中に切り込む
からです。

つまり、視座が、
◆“(並んで頂いても)出来立てのおいしいポップコーンを届けたいから…。”
◆“ポップコーンで大儲けしたいから…。”
なら、先ほどの【A】と同じ
立場になるかもしれません。

逆に、視座が、
◇“おいしいポップコーンをスムース提供したいから…。”
◇“ポップコーンを通して、お客様に不満を与えたくないから…。”
なら、先ほどの【B】と同じ立場になるかもしれません。

つまり、“自分は、なぜ~するのか?、
なぜ~と思うのか?”という提供者(自分)の視座
は、
戦う意義、戦い方を決定づけるという意味で、武器になる。

また、状況の変化によって長所が短所となりえるため
「全てにおいて優れる」武器は存在しない。
というところも、僕が、Marketingを武器と例える所以です。

時分と自分にあった武器としてのMarketing
上手く使いこなしていきたいものですね。

2013年5月12日日曜日

【母の日とMarketing】

現在は生花中心ですが、母の日が普及した当初はもっぱら造花だったそう。



今日は、母の日ですね。

さて、母の日の由来には、
諸説あるそうで、詳しくはこちらに譲るとして、
いま、町の花屋さんでは、カーネーションが
ところ狭しと、店先に並んでいます。

もし、今日贈るなら、メッセージは、『ありがとう。』ですよね。
あるいは、『ありがとう&(いつも)ごめんね。』という人もいるかもしれません。

しかし、明日贈る場合ならば、どうなるでしょうか?

昔の人は、時期を逸したと考えるでしょう…。
そもそも『六日の菖蒲、十日の菊』という言葉があるくらいですから。

でも、僕らMarketingを考える人間は違います。

では、どうするか?

1番目は、メッセージを変えます。
『(遅れて)ごめんね&(いつも)ありがとう』と。

2番目に、仕組みを変えるでしょう。
仕事(タスク)の流れ、情報の流れ、物の流れ、お金の流れ等々…。
変えたメッセージに沿ったWhatを届ける仕組みを作ります。

そうすれば、母の日当日については、“感謝”という市場を、
母の日翌日については、“ごめんなさい+感謝”という市場が取れます。

つまり、贈ることに遅れた人の、“気持ちと市場”、という
2つの意味において、同時に“すくいあげる”ことができるのです。

そうすれば、恐らく明日の月曜日も、カーネーションは売れます。
そして、これこそが、Marketingだと思うのです。

大学時代、西村先生(現甲南大学副学長)にゼミで、
Marketingとは、『Market(市場)+ing(進行形)』。
進行形(ing)つまり、動く市場に合わせる行為の全体”と教わりました。


Marketingとは計器である。」

全体を表した先生の教えを、噛み砕いて一側面切り取るならば、そう言えると考えます。
つまり、相手の気持ちを量り、市場規模やタイミングを計るという意味において。
(長くなるので、その他の側面は、また別の機会に譲りますが…)

ただ、そうだとはいえ、このブログを読んで、
“あー、贈りそびれたよ”という方には、朗報です!
http://www.hibiyakadan.com/mother/
地域によって、『今日』が、まだまだいけるみたいです。


「母の日は商業主義に毒されている」
そんな人もなかにはいらっしゃるかもしれませんが、
日頃の感謝の気持ちに、花と言葉を添えて贈る
まだまだシャイ日本人には、良いきっかけだと思いますが、いかがでしょうか?

まぁ、うちの母は、“花よりダンゴ”の人なので、いつも、
“花かダンゴか”迷うところなのではありますが…(^_^;)

2013年5月3日金曜日

【働くって、楽しい?!】


Gwっぽく、小4と小1の子供を連れて、キッザニアに行ってきました。

「働く体験」を楽しめるテーマパークで、
お子様のいらっしゃる方は、行かれたことがあるかもしれませんね。

子供たちの前には、たくさんの仕事があり、
チャレンジしたがりの姉に、少し気おくれ気味の弟。

「このジュース、マジうまいと思う?」
「えー、俺が客ならどうかな?」
...なんて、言ってません!
 
「事件発生!現場に向かいます。」
「どうせ、他社の横並びでしょ。」
...なんて、言ってません!
ただ、2人とも働くことは、単純に楽しい様子。
しかも、働いた対価が、“キッザ”という通貨を変わる。

マニュアル―なるほど、作業が簡単なステップに分解され、本当の仕事にも役立つヒントが満載。

話は変わって、毎週参加している早朝ドラッカーのスカイプ勉強会。
96回目のテーマは、「知識労働者のマネジメント」でした。


「知識労働者」を惹きつけるマーケティング的なやり方とは?
(写真の境目をまたいでいるところもありますが、基本的には、
左:本文、中央上:予習、中央下&右:セッション内容になります。)
ACTION POINT

有能な社員には挑戦的な仕事を与えてください。

【自分の課題感】
挑戦的な仕事を与えて、失敗した場合はどうすべきか?

TOPIX
・「挑戦的な仕事」とは、やったことのないような仕事。
・同じ仕事ばかりしていると、仕事がマンネリ化する。人を変えないと空気が淀む。
・マネジメントは、「新たな挑戦」をさせることで、
 「チームの総和以上の成果をあげることを求める」
・経営責任の伴うくらいの大きな設備(ハード)投資は、
現場のマネージャーでは難しい。
監督者の異動という
人的な(ソフト)投資を通して、働く場全体のポテンシャルをあげる。
・「挑戦的な仕事」に失敗しても、元に戻さず、別の「新たな挑戦」をさせる。
・「知識労働者」は、単純に肉体を使うか否かではなく、
 「ミッションを理解し、働けるかどうか」もポイント。

Q【ご質問】新たな挑戦が与えられない場合は?
A【ご回答】
①自ら新たな挑戦を企画し、とっていく。
②相互にモチベートしあう関係をつくる。
③転職する。

=======

話を「キッザニア」に戻す。

働くことは、子供にとっては「遊び」と同じ、新鮮な出来事。
だから、新しい仕事にチャレンジする。

そして、
失敗しても、大したことではないことも知っている。

大人は、自分たちが、
ホモルーデンス【homo ludens】だってことを、
忘れてしまったのかもしれない…。


「楽しい仕事は、チャレンジしないと得られない。」
 子供たちの活発に動く姿を見て、改めてそう感じた、
 大人にとっても楽しい遠足だった。

~~~~~
「働くことは、そんな単純じゃない。環境が許さない。」、
「いやな上司や取引先に頭下げないと…。」ってそんな人には、
茨木のり子の詩を贈りたい。


ただ、いくら子供の自己決定権が重要とはいえ、
 これで、
50キッザはないと思うが…。(^_^;)


2013年5月1日水曜日

【新たな時代の、新たな編集者が、新たな創作活動を支援する。】


「編集者って、面白い。」
東京編集キュレーターズ”の
4回編集キュレーターアカデミーに
参加した
感想を一言で言えば、この語につきる。

作家エージェント会社コルク 
代表の佐渡島庸平さんと、
“東京編集キュレーターズ”、
主幹事で、LINE執行役員の田端信太郎さんの対談をお聞きした。

編集者の仕事には、いろいろある。
その中でも、「雑誌付編集者」と「作家付編集者」は、
同じ編集者でも、仕事はまったく違う。

「雑誌付編集者」で、イメージしやすいのは、元講談社の「樹林伸」さん。
一定世代以上男子には、MMRの「キバヤシ」という方が通るかもしれない。
わかりやすく言えば、漫画作家の原作に、インスピレーションを与える立場だ。

それに対して、「作家付編集者」は、どちらかというと、
作家さんのいい原稿が書ける環境を整える、
サポート、プロモーションに重きを置く立場だ。

今回のテーマは、『うまい編集ってなんだ?~プロとアマの境界線~』だったが、
今までの「編集」という枠にとどまらず、話はどんどん膨らんでいった。

TVCMを製作するのに、広告主は、たくさんのモニターを使って、ABテストを行う。
もし、振るわない結果になれば、作り直すくらいのことはする。そんな時代に、
1人の編集者が、作家に対して最善の価値を生み出せると言えるのはなぜか?」と田端さん。

「プロモートするのが、一番大事な仕事です。
また、かっこいい人でも、出かける前に、鏡をみるでしょう。
その鏡の役目になれると思うんです。悩んだところの濃淡なんかは見えるので。」と佐渡島さん。

つまり、一番作品を理解している人間が、
その作家を一番応援できるのだ、という自負があるのだ。

作家を支える出版社には、先にあげた以外にも、様々な仕事がある。
校正する仕事、販売を担当する仕事、著作権管理の仕事など、
守備範囲は広く、他部署にまたがる。でも、そのリレーションが機能しなければ・・・。

「才能に惚れ込んだ作家を全力でサポートしたい。」

そう感じた佐渡島さんは、“作家をサポートする仕事”を、
新しく“編集”し直したのではないか。
自分が、人生を賭けて、勝負するために。

お話を聞きながら、新たな編集者の「3つの側面」に気づいた。

・冒険家(多数の中から、綺羅星のような才能を見つけ出すという意味において。)
・宣教師(その作家の作品を信じ、広めるという意味において。)
・擁護者(ライセンス問題など、その作家を守り、支援するという意味において。)

今まででも、鑑定士のように才能を峻別することも、
研磨士のように才能を磨くこともあったかもしれない。
でも、それだけでは、何か足りないと思ったんでしょうね。

これからの電子書籍、グローバル化、多メディア化など
新しい時代の、新しい創作活動の現場においては・・・。


対談の中で、『そもそも21世紀に編集者は、必要なのか?』という質問がなされた。


誰でもブログやWEBサイトなどで発信できる時代に、
“編集者”が求められるなら、どういう役割か?


それに対して、身を以て、“Yes”と証明してほしい。
惚れ込んだ作家の新しい創作活動を精一杯応援し、
素晴らしい作品が生まれることを通して…。期待しています!