2013年7月23日火曜日

【誰かを傷つけたとしても、夢がかなえることは正しいか?】


宮崎駿監督の『風立ちぬ』を見てきた。



ただひたすらに、自分の夢に向かっていく主人公が、
そのひたむきさと才能により、夢をかなえ、
そのかなった夢により、自らが傷つく、そんな話だ―。

ゼロ戦の設計者の堀越二郎の半生を、
美しい薄幸の少女菜穂子との出会いと別れを軸にして、物語は進む。

また、夢の中で出会うイタリア人飛行機設計家 カプローニとの交流は、
時に、主人公を励まし、時に、グロテスクなまでの本心を代弁させる。

そのカプローニは、言う。

「飛行機は美しくも呪われた夢だ。だが私はこの呪われた王国が好きだ。」

僕はこの言葉を聞いたときに毀誉褒貶相半ばするベンチャー経営者たちを頭に浮かべた。
自分のビジョンのままに進み、世間からバッシングを受けた、そんな彼らの姿と重なった。
彼らもカプローニのように、生きたのだろうか、と。
また自分に置き換えたら、どうだろうか?

誰かを自分の夢の犠牲にしているのではないか?
仮に、そうだとして、自分の夢をあきらめられるのか?
そんな思いがいろいろと交錯した。

『風立ちぬ』のコピーは“生きねば。”である。
この言葉は、どういうこと意味しているのか?

(つらいことがあろうとも、)生きねば。
(死にたいことがあろうとも、)生きねば。
(つまらない日常に押しつぶされようとも)生きねば。

果たして、こういうことを言っているのだろうか?
映画を観終わって、改めて自分なりに考えてみた。
そして、今は、答えを見つけたような気がしている。

あとは、“その答えに外れない生き方をしているのか?”
ということを、自分の人生で問い続けようと思う。
飛行機の設計士の話なので、飛行機に注目するのは当然だが、
帽子が意味するところを考えつつ、展開を自分の中で、
再構成すると、
また、違った視点で楽しめると思う。