2013年11月19日火曜日

【不惑と不或(不域)】

四十而不惑



40にして惑わず=不惑。

論語の有名すぎるフレーズだ。

40にあたり考えた。

正しいのは、不惑ではない?



実は、違うんちゃうかと。三十而立、
四十而不惑、
五十而知天命、
三十にして立つ。

四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。

これは、
三十才で(学問に対する自分なりの基礎)を確立した。
四十才で戸惑うことがなくなった。
五十才で天命を悟った。

ということらしい。
ただ、これには、実は、

別の考え方があったのではないか?と思うのだ…。

通常のパターンを解説するとこうだ。

15~30で、勉強して来たから自立した。
30~40で、学んで自信がついたから、「惑わず」=不惑。で突き進んだ。



実は、不或(不域)じゃないか?


或る」には、以下の意味がある。


  • 不特定のものを表す。ある、あるは
  • 別の可性・選択肢を示唆する。または、あるいは
  • 。〔説文解字〕には「邦なり」とある。
  • 地域
またと通じて、ある、また、惑と通じて、惑う、疑う、という意味がある。
字形
の会意。
で、は武器。を守るという字で、もともとの意味は)。
を示す。その後、ある、あるいは、という意味を持つようになり、
を表す字としてが、地域を表す字としてが使われるようになった。
音訓
音読みは、ワク、コク、ヨク、イキ、
訓読みは、ある、あるいは、あるは、くに、うたがう。名のりに、もち、などがある。

しかし、

15~30で、勉強して来て、自信がついたから自立した。
30~40で、学んで行く中でさらなる奥深さをしり、

40~50で、専門領域に閉じこもらない或(域)せず」
=不
或を、モットーにしてきた、

だからこそ、50才で天命を悟った・・・。
と考えられないか?

つまり、この説ならば、孔子もオレも、
だいたい考えていることは同じである。


不惑と不或(不域)

不惑(40)の年にあたり、不或(不域)でいく。
あとは、実践するか、しないか。

まぁ、不惑が正しいと思う人もいるでしょうから、
それはそれでいいと思う。

結局、どっちを選んでも人生である。

どうゴールを見据え、邁進するのか?

それこそ、そこは、不惑(惑わず)でのぞみたいものだ。





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