2010年12月12日日曜日

【4歳の誕生日】

 息子、4歳の誕生日。
ようやく、というか、まだまだというか。

これから、どんな成長のドラマが待っているのか、
親としても楽しみです。
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2010年8月10日火曜日

後継者問題


どこの会社にも、1人くらいは、生き字引のような人がいるものだ。




生き字引とされる知識の種類は、多種多様で、

社内事情の場合もあるし、特定のクライアント事情ということもあるし、

はたまた発生率は低いが、起きた時に、必ず要る業務の専門知識だったりする。



その方々は、長い期間、コツコツと、与えられたpositionで、

創意工夫しながら、自分なりにスキルを高め、知識を集めていった。

その結果、周囲からの独特のリスペクトを集めていった。



ただ、一方で、いることが当然視されたり、発生率が低いということで、

あまり、重要視されていない場合も、見受けられる。



そういう生き字引のような人が辞めることや、休むことを想定していないので、


その人がいざ抜けるということになると、後継者問題が浮上してくる。

しかも、時間がない中で。



僕の会社でも、今、そういう意味で、後継者問題が立ちあがっている。



誰に、どのように、引継するのか?



どの会社も同じだと思うが、

ここを乗り切れることができるかが、踏ん張りどころだと思う。



がんばっていきましょう!

2010年8月8日日曜日

自分の実力

自分の実力を過信することは、決して悪いことではない。
過信が、思わぬ力を発揮することがある。


しかし、実力を過大評価し、
いいものを、いい返事を、と構えていて、
最近、スピードが犠牲になっている気がする。

スピードの犠牲が、積み残しを生む現状。

だとしたら、
今は、もう一度、スピード重視で行こうと思う。

スピードに質がついてきたら、良し。
もし、できなければ、そうなるべく努力する。

つっこみには、素直に反省し、言葉足らずや視野狭窄な部分は、
受け入れるものは、受け入れ
受け入れられないものは、受け入れられない理由をきちんと表明する。

その過程も見てもらう。


でないと、いつまでも、ゴチャゴチャ言い訳ばかりが
積み残されている状態になってしまう。


荷物をおろして、もう一度、自分を成長させたいと思う。


2010年6月21日月曜日

視点

今日、新たなメンバーが、入社された。
なんか、空気がふっと変わる。

その変わった空気というのは、新しいことに出会って、
なじむまでの少しこそばゆさちょっとした緊張感だ。

人も、組織も、そのような感覚を通して、状況に対応することで、
活性化され、成長していくのだと思う。

今回、ご入社された方は、自分に、直接関連する業務以外なので、
面接には、ノータッチで、今日が、初顔合わせだ。

出社された後、メンバー間で、軽く自己紹介をしあって、
仕事の流れを説明した後、面接を仕切ってくれたメンター役と、
担当するお客様のクリエイティブを取り仕切っているディレクターと、
僕と、新人さんと、4人で、ランチにでる。

ランチを食べながら、ざっくばらんに話していると、
落語が趣味だと言う。

へぇー。
そうなんだ、へんな驚き。

それを、受けて、
「実は、高校時代、落語サークルを立ち上げていた。特に、寄席文字が好き。」
とディレクター。


江戸文字(寄席文字含む)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%96%87%E5%AD%97


ふーん、そんな趣味があったんだ。

新しいメンバーとのちょっとしたきっかけを通して、
今いるメンバーの新しい一面を見ることができてよかった。

これは、新しい視点を通して、現在ある対象物を、
別の角度から、見直すことにも通じる。

それは、思わぬ発見を導き出してくれることがある。

新しい人が、早くなじみ、でも、あるところではなじまずにいれくれることで、
その人なりの視点を通して、今まで、当たり前だとされてきたことを、
違った角度から、やり方をうまく変えることができれば、
組織は、今より強くなれると思うのだ。


新人さんに、そんなに、過度に期待するのも、どうかと思うのだが・・・。

2010年6月20日日曜日

父の日



今日は、父の日。



今更ながらではあるが、父になって、
父のありがたさが、わかる気がする。

自分と嫁の父親に、父の日のプレゼントを贈った。


それぞれの父に、リクエストを聞くと、
1人は、図書カード。1人は、プレミアムビール。
ともに、喜んでいただけたようで、何よりです。

さて、自分は、下の子の、幼稚園で父親参観に行っていた。
家では、見られない集団の中でのわが子の姿を見るのは、面白いもの。

落ち着きがないというのではないが、
やっぱり甘えて、先生や親御さんのくっついている他の子供に、
自分の席に戻るように促すあたりは、ひいき目にみれば正義感というのか?
ただ、他の子はきちんと座っているし、おせっかいと言えなくもなく、微妙なところだ。

そうかと言って、他の子と比べて、抜きんでているかというと、
そうでもなく、自分の好きではないことはやらないので、
親子で作る工作活動は、結局、親に、お鉢が回る。いい迷惑だ。とほほ(^_^;)。

そんなこんなで、幼稚園で作った父の日のプレゼントを受け取る。
ハンガーを、デコレーションしたものだ。


使おうと思えば使えるし、アイデアとしては、面白い。


で、父親参観が終わり、家に帰った来たら、だらだらしている
上の子に、父の日のプレゼントをねだってみる。


おそらく、学校などで、そのようなイベントがないと
きっかけとしては、動きづらいのか、何も用意していないらしい。

まぁ、それは、それで、しょうがないと思っていたら、
パーラービーズで、メッセージを書いたボード?を作ってくれました。


実用性は、おいといて、気持ちだけ、
受け取っておきましょう。

いやはや、子育ては、難しい・・・。
改めて、父らに感謝申し上げる次第でありまする。

2010年6月19日土曜日

日本、敗れる!

W杯2戦目、オランダにやぶれる。
あー、惜しかった。Orz

守備はよかった。
確かに、ボールの保有率は、相手の方が高かったが、
それでも、全員で、よく守ったと思う。

失点したのも、シュートのこぼれ球が、
たまたま、ノーマークの選手の前にこぼれたところに、
シュートを打たれ、キーパーがパンチングするも、防ぎきれなかったためだ。

一瞬の隙も逃さないオランダ。
敵ながら、アッパレ!だ。
次は、いよいよ、グループリーグ最終戦 デンマーク戦だ。
ここが大事だ!
デンマークとカメルーンの戦い次第だが、
悪くても、引き分け以上の結果を出さないといけない。


応援にも、力が入る!
ガンバレ、日本!

リーグ戦を突破してくれ!

2010年6月17日木曜日

【“社風”は、向かい風か?追い風か?】


社風とは・・・


今日、友人の転職相談と、仕事の打ち合わせを兼ねて、
転職先のOBでもある別の友人と話をした。

その時の、キーワードが、ずばり、社風だ。

社風は、会社によって、組織によって違う。
なぜならば、社風とは、意識、無意識にかかわらず、
その会社が出会ってきた現実に、独自の決定プロセスや
考える習慣、行動というフィルターを通して、作り上げられた「空気」だからだ。

そのため、その「空気」が肌に合えば、息が合う豊饒な関係性と
居心地のよい場所を作れるが、 合わない場合は、
息苦しく、カゴに囚われた鳥のように、個人は、束縛されてしまう。

そういう意味で、
社風に合うか合わないかは、
決定的に重要だ。


中途入社にとって、“社風”は、
向かい風か?追い風か?


まだ、新卒なら、同期がいる中で、共同歩調がとれるが、
同期のいない中途採用者にとっては、不思議の国のアリスか、
友達のいないまだ泣いていない赤鬼のような孤独な状態におかれる。

ただ、合わない場合にしても、対処法はある。

例えはよくないかもしれないが、
社風を、「閉鎖的な田舎のならわし」と考えてみる。

ならわしも、社風も、集団生活で、脈々と、
受け継がれてきた習慣やルールという意味では同じだ。



社風を受け入れるには?


そういった閉鎖的な田舎を変えるのは、
「バカモノ、ヨソモノ、ワカモノ」だと言われる。

集団のルールや、常識にとらわれないバカモノ。
その集団との差異を感じることのできるヨソモノ。
新たなルールをつくっていく後継者であるワカモノ。

それになれば、いいのだ。
当然、新卒は、その会社では、ワカモノだし、中途採用者は、ヨソモノだ。

ただ、急いで、事を運ぶことはお勧めしない。
当然ながら、そこの構成員の考えも、プライドもあるからだ。

相手を尊重しない、自分の思いにのみ、
正当性があるがごとき振る舞いには、誰も賛同し得ない。

友人には、思いを胸に秘め、
受け入れるべき美点を吸収し、

悪習に取り込まれることなく、
新しい社風をつくる一翼を

担ってくれることを、切に願う。

2010年6月14日月曜日

日本初戦!

なんだかんだ悪態がつかれる今年のサッカー日本代表。
現時点で、どうなることやら、わからない。

先発メンバーが、発表された。

GK: 川島

DF: 駒野、中沢、田中(マ)、長友

MF: 遠藤、阿部、長谷部、松井、大久保

FW:本田

このメンバーで戦いに臨む。

いよいよ、はじまる。
ゲームの入場に、手をつなぐ、アフリカの子供たちも、めちゃ、かわいい。

試合前のNHKの番組に出ていたゴン、井原、森島、宮本。
ここに、カズさえいれば、ゴールデンメンバーなのに。

おぉー!テンションあがってきた。
この先、どうなることやら。
今は、開始10分前。結末が楽しみだ。

2010年6月13日日曜日

三角関係のもつれ

親子で、図書館に行った。
今回は、初めて家族全員がチャリに乗る、チャレンジングなツアーとなった。

上の子は、ようやく、コマなしの自転車をえっちらおっちらこげるくらいのレベル。
ヨメも、下の子を後ろにのせ、なんとなく不安定で、上海雑技団新人レベル。
それを見ている俺自身、前と後と横を気にしながらの蛇行運転。
まさに、ダッチロール状態。(って例えが古い。)

そんなこんなで、なんとかかんとか、図書館にたどりついて、借りた本がコレ。
(ちなみに、オノマトペを使うのは、圧倒的に、関西人が多いらしい。)


畑田国男さんの「三角関係の超・心理」http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4620310042/sr=/qid=/ref=olp_tab_all?ie=UTF8&coliid=&me=&qid=&sr=&seller=&colid=


簡単に言えば、三角関係をベースに、
人間関係及び社会の深層心理を、解説した本だ。
その中に、面白いキーワードが出てきた。

「三角関係というのは、本来もつれるもの」だから、
「三角関係のもつれ」とは、「頭痛が痛い」と同じ、トートロジーだ。

言われてみれば、確かに、そうだ。
だから、「もつれ」を、くよくよ悩むのは、もったいない。
ビジネスでは、よくあること。イヤなら、自分だけの武器で、勝つしかない。
もし、ないなら、自分で見つけるまでのことだ。

嫉妬は、自分がそれにつかまってしまうと、何もできなくなるが、
それをバネにがんばると、大きな力を発揮できる。

ちなみに、嫉妬は、3つに分けられるのだそうだ。
1.ジェラシー(jealousy)型:持っているモノを奪われる不安からくる嫉み。
2.エンヴィ(envy)型:持っている者への羨みから来る妬み。
3.エンジェラ型:いわゆる上記2つの複合型。

嫉妬にかられるような事態になれば、頭を冷やす意味で、
上記のような現状分析でもした上で、善後策を考える。
そうして、前向きに、事に当たれば、状況は必ずよくなるはずだ。

ただ、冷静に考えることが一番難しいことのだが・・・。(^_^;)

2010年6月12日土曜日

人の幸せには何が必要?

これは、人によります。


そう言ってしまっては、終りになるので、
結論を、一旦脇において、話をしたいと思う。

江口洋介主演の「チェイス」という
国税査察官を主役にしたドラマを見ていた。

一言でいえば、マルサと脱税コンサルタントの争いを、
登場人物の家族模様、人間関係、生い立ちを織り交ぜた話だ。

豆知識的には、脱税の大きな分類が示されていた。
脱税するには、「経費の水増し」と、「売上の過少申告」の2つを、
いかにうまくやるのか?ということだ。

課税申告をごまかす回避策として、イミテーションゴールド・タックスヘイブン・
パーマネント‐トラベラー・風説の流布など、色々な策を講じて税を回避する。

で、タイトルの「人を幸せには何が必要?」に戻りますが、
結局、人間は、どうすれば、救われるのか?どうすれば、幸せになれるのか?
ここをもんもんと思い悩みながら、生きていくのです。

ドラマの中で、敵役を演じる脱税コンサルタントは、愛人の子供として生まれ、
母親の自作自演の誘拐事件に巻き込まれて、左腕を切られてしまう。
事件の真相を偶然知った彼は、脱税コンサルタントとして、生き方を変えてしまう。

人を変えるには、色々な要因がある。だから、色々な生き方の可能性がある。
そして、たくさんの出会いの中で、何を選ぶか?何を信じるか?で変わってくる。

金がなくては、ある程度、豊かな生活は送れない。
しかし、金に、きゅうきゅうとするのも、豊かな人生とは言えない。
要は、バランスの問題だ。だから、 “幸せは、人による。” は、正確には、
“人の幸せには、色々なものが必要だ。だが、その傾斜配分は、人による。”

ということなのでしょう。

みなさんも、お幸せに。

2010年6月11日金曜日

2010南アフリカW杯開幕!&僕の戦い

いよいよ、南アフリカで、W杯が開幕された。
これからの熱戦が楽しみだ。

そうそう、以前、僕の負けられない戦いのことを書いた。
そのために、ブログを再開したことも。

http://bit.ly/9oSbPv

結果は、・・・勝てず でした。
今回の戦いのルールは、カンタン。
1人が、お題を出し、それにそって、小説を作るのだ。


まず、かぐや姫の話をモチーフに描こうと思ったのですが、
なんとなく行き詰まり、もんもんとしてました。
(「月」というのは、ある意味、タイトル先行でしたね。)

ただ、
1.つながりというところで、ツイッターを取り入れること、
2.国を越えた話ということで、他国との対比を取り入れること、
3.物語に、対比をいれるということで、現代と、過去をつなげること、
をベースに、

もともと、ツイッターをきっかけにはじまった話なので、現代性と、その逆で、
日本の古くからのお遊びでもある、連歌をモチーフに、
本歌取りを取り入れようとしました。

なので、“評価者さんが入り込めるように”という狙いをもとに、
その方のツイートをアレンジし、世界のすぐそばに、
パラレルワールドが存在するというように、
物語の世界に、入り込めるように、工夫しました。

ただ、なんとなく、うまくまとまんないなぁと思っていたときに、
別の友人家で、花見の日に食べた馬刺しがうまくて、
「なんか、楽しかったなぁ」と思っているうちに、
『馬の鼻を持つ男』ができあがり、あとは、パズルを埋めていく作業でしたね。

小説、作る作業は、楽しかったです。
詳しく読みたい方は、こちらまで。

月/PC版http://www.intel.co.jp/jp/tomorrow/#/book/read?isbn=5794838709089&&chapter=0
携帯版はこちらhttp://m.intel-c.jp/s/m/book/toc/5794838709089?guid=on
よかったら、ファンレター下さい。
厚かましいって。^^

2010年6月10日木曜日

iPadは、どこへ行く・・・?

ネットで、面白い記事を見た。

bit.ly/btGwZ6


iPhoneが、iPadにでかくなったのを受けて、
次は、iBoardとiMat!ぐらいでかくなるぜ!っていう落ち。


さすがの孫さんも、ツイッターで次のように、つぶやいていた。
『masason: これは企業秘密につきノーコメントデス。
RT @IsseyMori まだ iboard や iMat については、
孫さん(@masason)もノーコメント・笑 http://bit.ly/c8AOTV


思惑の記事が先行する中、情報が少なく、
なぁーんか、釈然とせぇへんなぁ・・・。

と思っていたところ、次のツイートで、
『masason: もち冗談です。RT @softbank_ichiro @masason
これは企業秘密につきノーコメントデス。
RT @IsseyMori まだ iboard や iMat http://bit.ly/c8AOTV

だって・・・。さすがは、孫社長。
シャレにつきあう懐の深さがいいなぁ。

でも、本当に、iPadは、どのような進化をとげていくのだろうか?

2010年6月9日水曜日

久しぶりのランチ

今日、大阪から出張に来た後輩と、久しぶりにランチをした。
最近、東京に、来ることが多い。

もともと、大学のラクロスの後輩だった。
それが、前の職場での問題を相談にのっているうちに、
そのまま、入社させた。もう10年以上も前のことだ。

広告業界の話、最近見た映画、幕末の時代の話など、 
とりとめもない話をした。

面白かったのは、
「さすがに、最近、会社に朝着たら、いきなり、
つぶれていることはないと思うようになりましたよ。」の一言。

おいおいおい・・・。さすがに、もう、それはないやろ・・・。
でも、油断は大敵です。!

そういえば、“油断大敵”と言う言葉に対して、『無敵は大敵』という
外山滋比古さんが、書かれた、面白いコラムを発見した。
以下、要約で、ご紹介しましょう。

===

「カメと競争したウサギ。カメなんか敵では無いと油断して思わぬ敗北。
油断大敵だが、無敵だと思って、油断する。
つまり、無敵は大敵である。
敵のあることは、むしろありがたい。」

ライバルがいることで、切磋琢磨できるのだ。

“おまえ、どんだけ、心配性やねん。”と思いつつも、

「そうだったな。薄氷を歩いてきたからな。
これからも、がんばろうな。」

と、隣にいる頼もしい同志に、声をかけようと思ったけど、
照れくさくて、言葉を飲み込んだ。

2010年6月8日火曜日

わかりやすく話すコツ

プレゼンテーションの天才と呼ばれるジョブズ氏が、
「iPhone 4」のプレゼンテーション時に、トラブルに見舞われたらしい。
http://mainichi.jp/select/biz/it/cnet/archive/2010/06/08/20414788.html?inb=fr
裏を返せば、トラブルがニュースになるくらいの技術が卓越しているということだ。
もちろん、その技術には、入念な準備と言うバックボーンがあるのだが。

その氏を上回るプレゼンテーションの技術などは、望むべくもないが、 
プレゼンテーションの基本、いわゆる、「わかりやすく話す」ということは、
工夫次第で、習得できる技術ではないのかと思う。

その参考になる記事が、先日の日経新聞にでていた。一言でいうと、

最初に結論、語尾明瞭に。
だそうだ。では、これをどのように、実行するか、ポイントをまとめた。

1.ダメな話し方をやめる。
1)ダラダラと、自分の考えた順、そのままの話し方。
2)何を主張したいのか、わからない話し方
3)理由や根拠のない話し方

2.話す前の下準備をきちんとする。
1)自分の主張・結論と根拠を上げる。:主張・結論は、先に持ってくる。
2)自分の言いたいポイントに、数字を振る。:「3つ」は、説得力と被理解力を持つ。
3)PREP法(主張・ポイントP→理由R→具体例E→ポイントを念押しP)で考える。

3.ディテールに気をつける。
1)時間制限を設ける。:時間を設定し、意識しながら話すと、ムダが省ける。
2)「。」で文章を切る。:「そして」「それで」とダラダラつなげず。語尾を明瞭に発言。
3)的確な接続詞を使う。:理由/なぜなら。結論/したがって。まとめ/つまり。逆の意見/しかし。意外な事実/ところが。対比/一方など、文と文の関連性のわかる接続詞でつなぐ。
4)「やっぱり」「要するに」「えっと」などの口癖に気をつける。

まずは、話す前に、頭の中を整理する。
そして、主張をし、その理由を明確に。
最後に、明瞭な語尾を確保する。
要は、それだけだ。これを習得するには、トレーニングが必要だ。
実践を通して、体得しよう。そのためにも、考える時間を、まず確保しよう。

2010年6月7日月曜日

「今日も世界のどこかで」

今日、商談をしていたブースで、何気なく、お声をかけていただいた。
おそらく、来客者へ対するあいさつの一環なのだろう。

と思って、油断をしていたら、これがなんと、
前職の新人時代に、お世話になっていたお客様だった。

実は、今日、打ち合わせのため、お邪魔する前に、
場所を確認しようとしたところ、会社のホームページを見て、
社長のところに、その人の名前があって、びっくりしていた。


「あ、偉くなっているんだなぁ」と思ったものの、
商談のカウンターパートではないので、お会いすることはないだろうと思っていた。

なので、まさか声をかけて頂き、ご挨拶ができるなんて思ってもみなかった。
最後に、お会いしたのは、おそらく、退職の引継のためだったので、
おそらく、ほぼ12年ぶりの再会だ。

昔は、新人だということを割り引いても、段取りの悪い、
社内のルールに引きずられる出来の良くない営業マンだった。
(未だに、自分でも、反省するところがあるので、
恥ずかしながら、まだまだ成長途上ではあるのだが…。)

その方は、すごく頭の回転の早い人で、かと言って、強圧的なところもなく、
出来の良くない僕に、「頭つかわなあかんで」とよく言い、鍛えてくれていた。
おそらく、あらゆる人に対して、上下、ウチソトの違いにとらわれることなく、
そのような接し方をされているのだと思う。

なので、おそらく、僕のことも、覚えていないかもしれない。
でも、新人の頃の、一番吸収のいい時期に、このような方に出会い、
学びを得たことは、僕自身にとって、一生の宝になっていると思う。

ビジネスマンの駆け出し時代に、
そのような方と出会えたことは、本当に、幸運だった。

だから、僕も、多少出来の悪いと感じる営業マンも、
若く、一生懸命に食らいつく人には、厳しくも、温かく接しようと思っている。
そういう風に、僕自身が鍛えられてきたのだから。
おこがましいが、ご恩返しのつもりだ。

おそらく、そうやって、社会は回っているのだろう。
そして、今日も、きっと世界のどこかで、そういう出会いが生まれている。

そうやって、人は、何らかの気づきを得て、成長していくのだと思う。

2010年6月6日日曜日

情報公開制度とプライバシー

ヨメが、司書になるために、通信制で勉強をしている。
いわゆる、女子大生だ。

「情報化社会と情報の選択」なんて、教科書を、
盗み見してみると、なかなか面白い。

その中でも、特に、『情報公開制度と、プライバシー問題』を
取り上げる件は、特に、興味深い。以下、ちょっと、まとめてみる。


現代は、高度情報通信社会だ。
高度情報社会とは、face-to-faceのリアルワールドと、コンピュータの
ネットワークの中のサイバースペースが織り成すハイブリッドな社会だ。

しかも、知らず知らずのうちに、生活の中に、コンピュータシステムが
組み込まれ、気がつくと、日本語1文字分のプログラムミスで、
交通網が大混乱するという脆弱性の上に成り立っている。

そんな見えると見えないが混在する社会において、
個人情報保護法に基づくプライバシー保護の問題と、
情報公開における適用除外の問題には、丁寧な交通整理が必要だ。

“国、企業を含む社会から個人情報を、いかに保護するか”
というのが、『個人情報保護』の眼目だ。

これに対し、『情報公開における適用除外』とは、
“行政側に、生活者が、情報公開を求めるものの、
公共の福祉やプライバシーの観点から、
情報公開に応じない項目を認めること”だ。

情報公開制度は、行政の透明性を担保する、
民主主義社会における重要な仕組みの一つだ。

これに対し、「プライバシーの問題」で、適用除外を認めることが、
公共の福祉に反しないのか?という疑問は残る。

確かに、情報公開制度の申請は、
何人であっても、どんな組織に対しても、申請ができる。

外交や国防の機密は、確かに、防諜の観点からも、
秘匿されるべきだが、それを、“隠れ蓑”に国民に不利な情報が、
全てでてこないことは、民主主義社会に対して、大きな禍根を残すことになる。

ただ、「プライバシーの問題」も非常に、重要だ。

古典的なプライバシーの概念は、19cのアメリカで、
印刷物が巷にあふれ、いわゆる大衆社会に迎合する形で、
生まれたイエロー・ジャーナリズムに対する、
“the right to be let alone”である。

これに対し、現代的なプライバシーの概念は、
20c後半のコンピュータネットワーク、いわゆるサイバースペースの
著しい進展に呼応する形で、便益を受ける一方、時に、基本的人権の
侵害を受けたり、財産的な被害を受けたりする個人の生活に対して、
自己に関する情報のコントロールする権利の確立を目指す方向だ。

何が、情報の秘匿で、何が保護なのかは、立場により、
見方が変わるところもあり、一概には言えないが、
試行錯誤を繰り返しながら、対応していくことで、
情報公開制度とプライバシーの権利の確立を行っていくしかないのだと思う。

(参考情報:インターネットの「人口」普及率・利用率とその推移)http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/6210.html

2010年6月5日土曜日

【「学校参観日」に見る小学生の「見える化」】




今日、上の小1の子の学校参観日に行ってきた。
この小学校、校長先生が、「開かれた学校」を標榜していて、
比較的、保護者が参加しやすい土曜日に、参観日を設定してくれている。

しかも、2時間目から、4時間目の好きな時間に行っていいところや、
玄関のところに、地域のシルバーセンターからの派遣だろうか、
優しい顔の監視員さんも配置してくれるなど、
今の時代にあった心配りがありがたい。

さて、授業は、
2時間目:セーフティ教室
3時間目:算数
4時間目:国語
セーフティ教室ってところに、時代を感じる。

自分たちは、3時間目の途中から、授業参観に参加した。

だいたい最初は、自分の子がいることを確認するのだが、
そのあとは、わりと余裕がでてくる。

少し他のクラスが気になって、
隣のクラスをのぞく。

そうすると、授業の進め方に、個性があるのだなぁと気づく。

ベテラン先生は、聞いている親も
わかりやすくいいテンポだ。

教室も、秩序だった感じだ。
親の自分が聞いていても、わかりやすい。
ただ、ちょっとついていけない子供いた気もした。

対する若手先生のクラスは、全体的に、なんとなく騒がしい。
でも、話をきかせるところの、工夫が面白い。

「ピッ」と声をかけ、黒板に貼ってある紙を動かす。

白いコピー用紙に、それぞれ、
色の違う教科書・ノート・筆箱のカードを動かすのだ。

教科書を読むときは、
教科書のカードを手前に、
机の上に何も置かない時は、
白いコピー用紙だけが残るように。

いわゆる「机の上の見える化」だ。

ちなみに、隣のクラスは、やっていない。

そもそも、そんなことをしなくても、静かに、
クラスをコントロールできているのかもしれない。

ずっと、授業をみているわけではないので、
どちらがいい等は、一概に言えないが、
若手先生の、いいものを取り入れるような
柔軟な姿勢は見ていて、微笑ましい。

失敗を恐れず、創意工夫する姿は、
こちらも、見習いたい。いやー、勉強になりました。

ただ、娘の発表の機会は、見逃してしまったらしい。Orz

下のチビッ子のじっとしている我慢の限界だったんだので、
つい早めに帰ってしまったのだ、娘よ、すまん・・・。(^_^;)

【ナウル共和国と働くこと】



ナウル共和国とは・・・


豊富な天然資源、リン鉱石を、世界中に売ることで、

半分を国庫にため、半分を国民に配った結果、

国民が働かなくなった国だ。



国民には、税金もなく、

電気代すら、国が負担していたそうだ。


転落の一途


資源が枯渇することはわかっていて、

海外投資などを積極的に、行っていたが、全て失敗。


税金のないことを呼び水に、銀行業を行っていたものの、

同時多発テロの影響を受け、テロリストのマネーロンダリングの温床と、

国際社会から、非難され、やむなく廃業に追い込まれる。


今は、産業のない、働かない多くの糖尿病患者をかかえる

寂れた国に、落ちぶれた。


働くこととは、生きること。


僕らは、この国から、どんな教訓を見いだせるのか?

人が働くとは、どういうことなのか?

人が生きるとは、どういうことなのか?


自分が食べる、生きることについて、

自分で用意できることが、最低限の条件だ。



その上で、自分の働くことの成果を、

一緒に喜んでくれる人がいることを、

自らの誇りとして、自分を成長させることだ。



生きることは、働くことだ。



これは、働きマンにでてくる言葉だ。

あぁー、仕事もがんばったなぁと死んでいきたい。




2010年6月3日木曜日

【勝利の女神さま】



ツイッターを、今年から、本格的に始めた。

http://twitter.com/Daiki18
全く知らない人と、なんかの拍子でつながって、

そこから、色々な情報や心づかいを頂いて、

結構、ご機嫌な日々を過ごしている。



だいたいの人は、本名やニックネームから、類推できるものを

アカウント(ツイッター上の名字)を作成するのだが、

中には、なかなか楽しいアカウント名を持っている人も多い。




たとえば『勝利の女神』さん。 http://twitter.com/syourinomegami



このかたに、フォローして頂いているだけで、

プレゼンに負ける気がしかない。



冗談のようだが、本当に、「勝てる気がする。」

正確には、「負ける」気がしない。



そう、ノッテいる!



風を浴びて、居並ぶクライアント眼前に立つオレ。

そこでも、価値を気づかせ、勝利をもぎ取る。

その後ろには、『勝利の女神』がいる。



これからも、良い流れを途切れさせないように、努力を怠らず、
勝利を目指して、ガンガン飛ばしていくぜェ―!
ついて来い伊予は、ヨメの実家です。

なんっちゃって。^^

  

2010年6月2日水曜日

【ソーシャルメディア:ツイ割なう!】

広告代理店として、ソーシャルメディアの可能性を模索中だ。
その中に、最近、お客様に、ご案内しはじめたツールがある。

「ツイ割なう!」http://now.twiwari.jp/now/now_pr/index.html


内容をかいつまんで説明すると、
ご来店されたお客様に、QRコード付きカードをお渡しして、
つぶやいてくれたお礼に、クーポンをお渡しする仕組み。
それと同時に、お店のフォロワーとして、自動登録し、
リピートにつながる関係つくりを促す。

『3つの特徴』

1.お店では、カードを渡すだけ!
→簡単に、導入ができます!



2.ツイッターで、クチコミが広がる!
→お客様のつぶやきを通して、新しいお客様に、アピール可能!



3.フォロワー増加で、存在感アップ!
→顧客との継続的な関係作りを通して、再来店を促せます!


つまり、お客様は、ツイートすることで、次回使えるクーポンをもらえる。
お店様は、つぶやいてくれたお客様を通して、新規のお客様に、
ご案内ができ、さらに、自動的に、お店のフォロワー登録ができる。

最終的に、継続してフォロワーになって頂くことを通して、
ゆるやかに、関係をつくることを目指し、広告費を限りなく、
少なくできるための魅力的なツールになると思われます。


①つぶやき人数(来店客)×フォロワー数に加えて、
②継続して、店が行うツイートにて、店舗のPRが出来るということです。

それが、初期投資
100枚:5,000円~(税別)から
始められるのです。


こちらのサービスを通じて、すくなくとも1名からの新規のお客様が来て頂けたらば、
費用は回収できるのではないかと考えております。

さらに、今なら、無料で、お店のホームページも作成するまでのおまけつき。

ツイッターは、これからのツールなので、うまくつきあえば、
お店に大きな効果をもたらすと思われる。

ぜひ、この機会に、ご採用ください。

よく言われるのですが、
ソーシャルメディアは、魔法の杖じゃない。
 
ということだ。

Webのその先にいるのは、人間なので、
丁寧に、自分に置き換えて、考えないと、
失礼をすることになるし、自分たちの期待のしない状況を生みかねない。

それでも、新しいツールを通して、学ぶことがあると思う。
社会の流れを知り、ソーシャルメディアの海の中で

しか見えないものがあると思うから。

皆さまからのご連絡やお問い合わせ、お待ちしております。<(_ _)> 

2010年6月1日火曜日

【理想と現実の狭間 現実に合わせるべきか? 理想を貫くか?】


理想と現実の狭間



社民党が、連立政権を離脱した。

連立政権を組んだ際の、「連立合意」をめぐって、
民主党と、社民党で、意見が分かれたからだ。

理想と違った現実にぶつかったときに、

1.当初の理想を脇に置き、現実に合わせること。
2.理想を変えずに、つらぬくこと。


どちらが正しいのだろうか?

日経新聞では、“理念を伴う現実主義を”なんて書いてあったが、
結局、それは、現状追認しかないのではないか?

国民が、民主党を含めた連立政権に、政権交代を託したのだから、
このごたごたの責任の一端については、甘んじて受けないといけない。

たとえ、個人の意見が、別だとしても。
それが、民主主義を担う責任の取り方だ。

話を元に戻すと、今回の鳩山首相の変節は、
タイムスパンを1年単位で考えるならば、致し方ない。

普天間や米軍との関係を考えた場合、
それが、とりうる最善の策だ。

しかし、10年単位で考えた場合、社民党の理想もありだ。

ただし、その場合は、他国からの侵略からも、
米軍との関係悪化も、現実的視野に入れて、考慮した上で、
そのリスクと現実を受け止めなければならないが。

少なくとも、自衛隊を「自衛軍」として、他国からの侵略に備え、
場合によっては、韓国のような徴兵制をとらなければならないかもしれない。

国防の大部分を日本自身で、引き受ける必要もでてこよう。

そんな、覚悟ができるのだろうか?


現実に起こり得る問題点

①国防力の減退


独立と孤独は同じ言葉でないように、
同盟を破棄して、「自衛軍」で、
全てを賄うことを意味しないと思うが、
一時的に国防力が下がるのは否めない。

その間隙をつかれたとしたら・・・。

もちろん、それに対して
手段を講じることが必要なのは言うまでもないが、
それを補う費用は、片方でどこから捻出しないかという
新たな問題もはらんでいる。

②沖縄経済への影響


沖縄の失業率は高い。
http://goodjoboki.com/jobshadowing.html

基地関係の収入が減れば、沖縄経済への影響がでる。
経済の悪影響がもたらす、離婚や自殺が増える可能性も、
今以上に、考慮しなくてはならない。

では、沖縄の基地をそのままで良しとし、
これからも、負担をかけ続けるのか?

では、どうすればいいのか?


堂々巡りで、正直、答えは見つからない。

そんな自分が偉そうに、現実に対峙している人間を
悪しざまに言えるはずがない。

ただ、少なくとも、必要なものはわかる。
それは、「期間」と「合意」と「覚悟」だ。

「期間」は、いつまでに、なにをする?
「合意」は、どうする?住民とは?アメリカとは?
「覚悟」は、国防力の一時的な減退や沖縄経済への影響を受け入れられるのか?

もし、自分だったら、どう考えるか?

周辺国と適切な距離を取り、
自衛の構えを見せ、経済を立て直す。

その理想に対して、現実については、
いま、どうするのか?

治療に例えるなら
手術なのか?
対症療法なのか?
経過観察なのか?

さらに治療に入るとしたなら、
方針はどれを選ぶのか?
どのくらいの時間と費用をかけて実行するのか?

障害物には、どう対処するか?

考えれば、きりがない・・・。

でも、そのきりがないことに向き合っている人が、
現にいて、その落としどころが、今なお探しているのが、
偽らざる現実なのかもしれない。

ただ、少なくとも理想を描くことはやめてはいけない。
あきらめたら、そこで、試合は終了だ。

2010年5月31日月曜日

「穴だらけの金庫」

今朝の日経をよんでいたら、気になる言葉がでていた。

穴だらけの金庫、『「負担なき給付」の蹉跌』という
記事(http://bit.ly/d8WIMi)の横のドラッカーの言葉。

「予算編成が歳出~スタートするならば、徴税に節度がなくなる。
 
歳出は、政治家が票を買うための手段となる」(『ポスト資本主義社会』)

まさに、言うとおりだ。

個人では、多くの人が、収入の中で、生活をしようと思っているが、
国や地方にお願いする場合は、そのあたりは、全然気にしない。
だから、だめだと他人や政府を批判することはたやすい。
もちろん、ほっておくこともできない。

かと言って、一人で、けりをつけることはできない。


どうする?


自分で、できることをせずに、人を批判することは、卑怯だ。
自分のできうることをし、相手を認める。その上で、批判することは、批判する。

そのためにも、自分のことは、自分の範囲でやるための道筋をつくることだ。
そして、それを実行するためにも、自分で、戦える知恵をつけ、武器をつくることだ。

自分で自分のやれることをし、自分の意見をいい、自分の落とし前をつけるんだ。
でないと、気づかないうちに、自分の信条を、お金と交換することになる―――。

それは、とても悲しいことだと思う。


だから、できることから始めよう。

すくなくとも、「穴だらけの金庫」に、穴を防ぐために、    
お金をもらえるからという理由だけで、政党を支持することしない。


そう、決めようと思う。

2010年5月29日土曜日

『雲のような人』

昨日、久しぶりに、『雲のような人』にあった。

昔から、懇意にして頂いている『雲のような人』は、いつも突然、連絡をくれる。



『雲のような人』は、とても、将来、リタイアしたら、

バリで、サーフィンをして暮らすといって、

バリに、サーフィンスクールを作ってしまう。



そんなことをさりげなくやってしまう人だ。

そう、『雲のような人』は、稼ぐ力も、もっているのだ。



今回は、仕事の一部を、手伝ってくれないかというお話だった。

他の人が言えば、ちょっと荒唐無稽な話と思えるかもしれないが、

『雲のような人』が言えば、なんとなくそのビジョンを共有できてしまうのだ。



具体的な話は、これからだが、

なんとなく、出来る気になってしまうのだ。



たぶん、理由は、こうだ。



1.相手にわかるメリットをみせる。


2.道筋と実績をみせる。


3.選択肢を与える。



人に何かをさせる上での、基本だが、

そんなことを、『雲のような人』は、さりげなくやってしまうのだ。



計算しているかどうかは、わからない。

自然とそのような思考をしているのか、わからない。

でも、不思議と一緒にいて、心地のよさを感じるのだ。

そう、『雲のような人』は、つかみどころがないのだ。



話が終わって、別れたあと、背中を眺めていると、

『雲のような人』は、また、すーっと、人の波に、隠れていった。

2010年5月27日木曜日

『背中を押す男』

さぼっていたブログを久々に更新。

昨日、「広告業界人のための、ツイッターセミナー」に参加した。
そこで、講演をされていたトライバルメディアハウスの池田さんが、
口を酸っぱく、酸っぱく言われていた。
ブログとツイッターは、親和性ありますよ、両方やりましょうと。



感謝は、行動で示さねばならない。
てなわけで、背中をおされ、久々に更新した次第。

お話は、
①ソーシャルメディアとは?
②何をすべきか?何をしないべきか?
③効果測定をどうするか?
④できること、できないこと?を中心に、池田さんが、講演。
最後に、Z会の寺西さんとの対談形式をとりつつ、広告主の立場からご意見を頂く。


①ソーシャルメディア≒CGM。

CGM(Consumer Generated Media)
=UGC(User Generated Content)の集合体。

つまり、ツイート、ブログのエントリーなどのユーザーが作り出す
1つ1つのコンテンツ(UGC)の集積が、巨大化し、メディア力を有する1つの塊。
ソーシャルメディアと線ひく場合、「つながる」「協力しあう」要素を強く含むもの。

②何をすべきか?何をしないべきか?
何をすべきか?: 誠実に、理解をしてもらうよう関係性をつくる努力。まずは、お友達からというスタンス。
何をしないべきか?:街宣車。

ソーシャル=公園。
そこで、それぞれの趣味を持つ人たちが集い、各々好きなことをしている。
そこに、街宣車を乗り付けて、 拡声器で、がなるようなことは、
人のマナーとしてどうでしょうか?

だから、「この場を借りてご案内させて頂く」というスタンスが大事。
そのための関係性を気づくには、やはり時間がかかる。

だから、短期的な収益をあげることを目標に、拙速であってはいけない。

③効果測定をどうするか?
まず、R=リターンをきめましょう。求めるのは、効率か、効果かということ。

そこで、クライアントが「ソーシャルマーケティングをしたい」と言われたら、
ベストな返答は、「なんでですか?」

それによって、Rが決まるからだ。

④できること、できないこと。

できること:明日の売上作り:潜在顧客の育成。
できないこと:今日の売上作り:顕在顧客の刈り取り。
ソーシャルメディアは、魔法の杖じゃない。

ソーシャルメディアを使ったマーケティングは、今までの媒体の苦手だった部分を補うもので、得手不得手は当然ある。
不特定多数に、たくさんアプローチするなら、やはりテレビの効果は高いよ。(視聴率1%=100万人)

あとは、知識を血肉化すべく、ツールを使いながら、
ソーシャルの海の泳ぎ方を覚えていこう。


セミナーの気づきなどは、ツイッターで、#kizuna_semi からどうぞ。

2010年3月18日木曜日

『透明の美しさ』

議論は、透明性の高いオープンな方がいいと言われている。
公平・中立な議論は、オープンだからこそ、できるのだと。

果たしてそうか?

オープンな場での議論でも、根回しを行い、意見のすり合わせなど、
事前に、多数派工作をしていれば、舞台裏で決まっているのと、同じだ。

また、そういう状況を作らせないようにと、参加者を、
特定の者の監視下に置くのは、個人間の通信手段の
発達しているこの時代、特定の場合を除き、事実上不可能だ。

上記の理由から、オープンな場での議論だからと言って、
公正・中立を担保しないことになる。

そもそも、公正・中立は、最高の価値なのか?
むしろ、問われるのは、次の質問ではないか?

1.議論の本質とは、そもそも、何なのか?
2.なぜ、オープンな場での、議論を求められるのか?
3.なぜ、議論をするほうが、しない場合よりいいのか?

上の3つの質問について、一言で答えるとすれば、
議論を行うのは、公正・中立を担保するためでなく、
納得感の醸成と結論の質の向上の為だと思う。

納得感の醸成が、必要なのは、組織の構成員が、決定に関与し、
決定されたことにコミットし、議論を通して得られた結論の実現に向けて、
力を合わすことにつながるからだ。

結論の質の向上が、必要なのは、現在もっている資源を、
最も有効に活用し、最大限のベネフィットを引き出すことにつながるからだ。

だからこそ、そのためにも、最低限、以下のことは、必要だ。

1.決定前に、できる限り、色々な立場の意見を聞くこと。
2.決定したことについて、できる限り、丁寧に説明すること。
3.決定したことの責任を持つ、つまり、成果を出すこと。

結局、議論の目指すものは、「オープン」というポーズではなく、
いろんな立場・階層の人々が、同じ目的を共有し、
その実現に邁進することだと思う。

だから、『ガラス張り』、『透明性』などと形容される“オープン”ということに、
こだわりすぎることなく、物事を決定する人間は、最適解を求めればいいのだ。

透明なものは、透明だから、美しいのではなく、
透明なものが、光を反射し、集約することで、生まれる輝きこそが、美しいのだ。

今こそ、形ばかりの『オープンな議論』から離れ、
本来の議論の意味を、取り戻すべきだと思う。

2010年3月16日火曜日

『スターウォーズ』と物語の黄金パターン 

スターウォーズのエピソードⅣ-Ⅵを一気に見た。

爽快感がある。



これは、スターウォーズを見たことによるものか、

それとも、一気に見たことによるものかはわからないが、とにかく、面白かった。



平凡な主人公が、日常から飛び出し、師を得、

友を携え、敵を倒し、平和な日常を取り戻す。



話の展開は、黄金パターンだ。

要は、そのパターンを、どう生きるかだ。



物語は、人生を抽象化したものだと言える。



であれば、自分を、映画の主人公だと思って、

自分の人生の物語を生きるのだと思えばいい。



つらいことも、楽しいことも、

人生の1コマだ。



だとしたら、自分の人生を上から見ている監督に、

しっかり、演技を見てもらえばいいんだ。



「人は、生きてきたようにしか、死ねない。」



生きて、今、していることが、

死ぬことに、つながっていくのだと思う。



だから、無茶なことはできないと思うし、

すべきではないと思う。



それを感覚的に、教えてきたのが、

宗教なのかもしれない・・・。



あんまり、思いつめると、だんだん気が重くなる。

さぁ、気を取り直して、エピソードⅠ-Ⅲを見るとしよう。



・・・



スターウォーズのエピソードⅠ-Ⅲを一気に見た。

爽快感がある・・・。

2010年3月12日金曜日

『吾唯知足』と『吾未不知足』

『吾唯知足』は、難しい言葉だ。
言い訳には、もってこいとも言える。なぜか?

現状に甘んじることと、自分の限界にチャレンジして、
今を受け入れることの差は見えにくいからだ。

欲望の際限無さが、環境を破壊してきた。
そのことが、生物の多様性を、失わせてきた。

だから、欲望を、無限にふくらましてはならない。
「これで充分」、と言える心のゆとりを持たねばならない。

わかる。
その通りだ。

しかし、そんな言葉をみんながわかっていれば、
ダイエット業界は、壊滅するにきまっている。

「足ることを知る人は、心は穏やかであり、
足ることを知らない人は、心はいつも乱れている。」
とお釈迦様はおっしゃったそうだ。

そのとおりだろう。
しかし、「欲望」が、人類を成長させてくれたことも、事実だ。

オチとしては、「バランス」なのだが、
それも、面白くない。

『吾未不知足』
(われ いまだ たるをしらず)


Still Young,Still Hungry.

ちょっと、おっさんぽいけど、それも、また良し。

エゴが、どこまで行けば、満たされるのか、わからないし、
どんな悪影響をもたらすかもわからない。

ただ、自分を満たせないものが、
人を幸せにすることはない。

2010年3月10日水曜日

「イチゴ3個で、チョーHappy!」

「ラッキー!!!」
朝から、娘がハイテンション。

「なんで?」と僕。
「お弁当に、イチゴをね、3個入れたよって、言っただけなんだけどね。」とヨメ。

子供が、ハイテンションになる理由は、案外というか、めちゃ、単純だ。
シンプルライフと言えば、それまでだが、なかなかの「シンプルさ」だ。素晴らしい。

子供は、当然ながら、生を享けて、過ごした時間が、短い。
だから、色々なことが新鮮で、すぐに、喜ぶし、すぐに、泣く。

感受性が豊かなのだとも言える。
それは、色々なことに、初めて出会うことが多いからだろう。

つまり、新しいことに、どんどんチャレンジしていけば、 起こる出来事を、
新鮮に感じることができ、その感受性は、維持されるのかもしれない。

だけど、大人は、変化を嫌う。変化を恐れる。変化を受け入れない。
その大人とは、僕のことだ。

ただ、自分では、“変化を嫌う”と言いながら、“新しもの好き”なところがあり、
“変化”の中にある、“新しい部分”や、 “マニア心(自分が価値を置くお宝)”を
くすぐる部分を、なんとか状況の中に見出し、人生の辻褄を合わせている。

面白い。

これからも、このセンサーで、行こうと思う。
子供のように、もう純粋に物事を新鮮に感じることは、おそらくできない。
知らないことに、興味を持ちチャレンジを続けることができるかは、わからない。
でも、世の中には、「イチゴ3個で、チョーHappy!」になる人間が、身近にいる。

自分の目を通さずとも、身近なものの目を通すことで、
広がる世界を、楽しみたいと思う。

「ヨメからの豪速球」

本当に、面白い話を書いて、伝えることは、難しい。技術的な問題もある。
ただし、それを差し引いても、難しいポイントは、3つある。

1つ目は、その場で作られた空気を、再現することが難しいこと。
2つ目は、その場で作られた言葉を、再現することが難しいこと。
3つ目は、その場に存在した関係性を、再現することが難しいこと。

映像の場合、画像の質にもよるが、
ある程度、その場の空気・言葉・関係性を伝えることが可能だ。

文章は、再現が難しい形のないものを、
読み手の想像に委ねてしまうから難しいとも言える。

孔子の昔より、言われている。
「辞は、達するのみ。」
言葉というものは、相手に、その意味を十分に、
伝えるようにすることこそが大切なのだ。

とは言え、やはり、伝えることは、
世の東西、今昔問わず、人の悩みの種なのだ。


今日、久しぶりに友達から、連絡があった。
その友人には、きれいなモデル出身のヨメがいる。
その話をしていて、我がヨメが一言。

「で、友達の中の、ヨメで、誰が、一番きれいなん?」
「・・・って、お前にきまってるやん。」
「ふーん。」って、満足気。おそろしい…。

『・・・』の間、まばたき4回。
まばたき1回は、0.1秒。つまり、わずか0.4秒。

150km/h(時速)は、41.67m/s(秒速)で、
ピッチャーズプレートからホームベースまで18.44m。
18.44m÷41.67m/s=0.4425秒。まさに、豪速球!

この張りつめた緊張の0.4秒。
だんなも、何気に、楽じゃない。

この空気感、うまく伝われば、うれしいのですが・・・。
いやはや、言葉は、難しい。

2010年3月9日火曜日

セイユウニトリアエズイケヤ

うまいなぁー。

西友の家具のCM。聞き方によっては、
「西友に、とりあえず行けや。」と聞こえ、
「西友、ニトリあえずイケア」と聞こえる。

西友は、これで、低価格家具市場に、参入してきたことを印象づけたと言える。
少なくとも、これを見て意味に気付いた人は、「一本とられた」と思うのではないか。

普通に、告知しても、「あ、そうなの。」くらいなものだ。
そこを敢えて、競合をふくめて、コピーの中にくるむ中で、
「家具の市場」において、存在感を、うまくだしたのだ。

商品購入までには、2つのハードルがあると言われている。

1つ目のハードルは、「買いたいか」「買いたくないか」というハードル。
2つ目のハードルは、「買えるか」「買えないか」というハードル。

買いたくないものは、安くても、買わない。
「買いたい」と思って、初めて「買えるか」「買えないか」という判断を下す。

不況が続くと、このハードルが上がって、「買えない」ということになり、
商品が売れない状況が続く。

まず、認知されないと、1つ目のハードルのところまでも行けない。
市場において、自社の存在を認めてもらえないと、それは、いないことと同じだ。

西友の家具で言うと、

「セイユウニトリアエズイケヤ」

で、家具低価格市場の2大勢力「ニトリ」「イケア」と肩を並べ、同列視させる。
その上で、家具を買いたい人に、1つ目のハードルのところまで、連れてくる。
さらに、2つ目のハードルで、「買えるか」「買えないか」と判断させる。

「エブリデイロープライス」「地域最低価格を目指す」と言われる低価格。
このCMが、認知されれば、結構、いい勝負できるのではないか?

心意気をかんじます。
ご健闘を。

2010年3月6日土曜日

【学びて思わざれば、則ち罔し。思いて学ばざれば、則ち殆し】


学びて思わざれば、則ち罔し。
思いて学ばざれば、則ち殆し


「まなびておもわざればすなわちくらし。
おもいてまなばざれば、すなわちあやうし。」と読む。
論語の中にある、言葉である。

『人から学んだだけで、自分で、
考えてみることをしないと、
何も、はっきりとわからない。


一人で、考え込むだけで、
広く学ばなければ、

狭く偏ってしまう危険がある。』という意味だ。

人生の呼吸
この言葉は、人生の呼吸を表していると思う。

『人生の呼吸』とは、人から、知識を吸収する(吸う)こと、
自分の中に、取り込み、考えをまとめる、意見を言う(吐く)こと、
というふうに、考える。

両方が大事だということだ。

だから、今、自分が、考えて持っている考え方が、
ゆらぎ、かたまり、そして、またゆらぐことを是としよう。

変化という言葉に、踊らせられることなく、変化しよう。

変化を、体の中でおこる新陳代謝と考えれば、当たり前のことだ。
日々、新しくなり、日々、古くなる。なんら、大げさなことではない。



ゆく河の流れは絶えずして、
しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶ
うたかたは、かつ消えかつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし。
                    鴨長明 『方丈記』より



自分で思うこと、学び考えることを通して、
生きることと、向き合っていこうと思う。

2010年3月4日木曜日

【本当に、申し訳ございませんでした。 お客様を対してやっちゃいけない たった1つのこと】

イテコマシタロカ、ワァーレ~

お客様を対してやっちゃいけない
たった1つのこと。

お客様の逆鱗に、触れる。
そういうことが、今までに、何回かありました。

自分も、怒りっぽいほうなので、
人が、怒るポイントも、よくわかるつもりなのですが、
それでも、見落として、地雷を踏むケースが、今も、たまにやってしまいます。

省みるに、ビジネスをしているときに、お客様を怒らせてしまう場合は、
本来『1人1人』のお客様として、相対しないといけないのにもかかわらず、
お客様の『集団』として、こちらの“都合”で、お話しする場合に多いと思います。

気をつけていても、やってしまう。

陳謝の気持ちや、決意のほどを表したいときには「新正堂 切腹もなか 」

お客様を怒らせる3つの原因
①そもそも、できない要求を突きつけられる場合。
②わかっていても、社内のルールで、そうなっている場合。
③キャパを越えていて、丁寧な応対ができなかった場合。

上記のような理由が考えられる。

怒らせたお客様への3つの対応策(基本編)

①⇒顧客との調整。 

できるところと、できないところの精査を行い、交渉する。

②⇒社内での調整。 

ルールの見直し。
正当性が、現時点でもあるのかを、確認する。

③⇒仕事量の調整。
 

人に、うまくまかせる。
チームを機能させる。
一時的に、連絡を絶つ。



怒らせたお客様への3つの対応策(応用編)

振り上げた拳を下ろすのって、結構タイヘン・・・。


上に書いたのは、ある意味、基本的なやり方。
応用編は・・・。

①「今回は、負けてもらう。」

(次回、調整することは約束する。そして、必ず実行。)

②「とぼける」

(ヒートアップしている場合、あえて聞き流す。
クールダウン時に、調整する。)


③「拳を振り下ろさせる」→「シンプルに頭を下げる」

あと、相手が、こぶしが振り上げれられたら、
気持ちよく、振り下ろさせることが、重要です。
そこに、言い訳や、こっちの事情なんかは、関係ない。
ただ、すいませんと、シンプルに頭を下げるべきだ。

こぶしを、下ろしたいのは、やはり上げたご本人なのです。
怒らせてしまったという導火線に、火をつけた責任として、
それは、甘んじて受けなければ、いけない。
それができれば、仲良くなるのも、案外早い。



気持ちいい謝罪

本当に申し訳ございません。と素直に詫びる。

そういえば、昔、FAX一斉送信の営業マンが、
非を認めて、さわやかに謝罪をされたので、思わず、
「今回の失敗を、10年後の笑い話にしましょう」と返事し、
今も、付き合っている人がいる。

原因を踏まえ、とるべき
対応策をまとめると、
以下の3つに集約される。

①謝り方
②状況整理・再発防止

③感情のもつれを解く

これができれば、その後の展開が
かなりスムーズに進むはずだ。

ご健闘を祈ります。



2010年3月3日水曜日

【今、いる場所で、がんばること。まわりを幸せにすること。】



夏目 漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年(大正5年)12月9日)

草枕の世界


夏目漱石の『草枕』は、
「山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば、角が立つ。

情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。」
の有名なフレーズからはじまる。

そして、中略し、
「とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、
安い所へ引き越したくなる。」とくる。

なんだか、転職を勧められている気がしないわけでもない。

人の世を作ったものは、神でもなければ鬼でもない。
やはり向う三軒両隣りに、ちらちらするただの人である。
ただの人が、作った人の世が住みにくいからとて、
越す国はあるまい。あれば
人でなしの国へ行くばかりだ。
人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

と続く・・・。

つらいといっても、どこも、たいしてかわらない。
だから、この世、この場で、がんばれ。そう言われている気がする。

自分も、転職を経験しているので、
あまり大きな反論もできないのだが、
「職場環境を変えることが、成長につながる」的なことを、のたまう方々は、多い。

緊張感が、周囲への観察力を高め、競争力を研ぎ澄ますのだと。
一理ある。

正社員という立場を、「特権」とすることで、
企業にも、個人にも、惰性が生まれるリスクは、
常にあるので、いわんとする事は、理解できる。


衣食足りて礼節を知る


しかし、マズローの5段階の欲求にある通り、
生命体として、健全な安心感が、付与されることを経てこそ、
組織や社会への純粋な貢献意識が、醸成されるのではないか。

(雇用の安定が、生命の安全に直結するとは考えるのは、
早計と思われるかもしれないが、精神衛生的には、安定すると思う。)

「衣食足りて礼節知る」
この格言は、一面の真実を表している。

だから、どうする?



個人と社会は、相似形だ。

特定の個人におこりうることは、
自分にも、当然起こりうる。


そう考えるからこそ、


自分の半径5mの先の人々と、
家族の幸せを目指す行動を、
「おたがいさま」とバランスをとって
行うことが、個人にとっても、
社会にとっても、幸せが増進すると思うのだ。


2010年3月2日火曜日

【面とマスク、他国の制度・風習・文化の違いを、うまくとりいれる】

小面は年の若い女の面で、その表情は愛らしく、初々しい。
男性でも面をかぶり、演じれば、女性となる。

「トラッド ジャパン」を通して日本を再発見

こう外国人に聞かれると、答えに窮するのではないだろうか?
ともに、顔を覆うものとしては、共通しているのに…。
(そんなことを聞く外国人の友達がいるのかは、おいといて…。)

テレビ体操をするのが、最近、朝の日課だ。
体調が、すこぶるよい。

それはさておき、ブログで、書いておきたかったのは、
その前後で、見つけたテレビ番組「トラッド ジャパン」のことだ。

日本の伝統を英語で紹介する際、
どういう表現がわかりやすく、
かつ適切かを紹介している番組だ。

ちなみに、僕は、【火】の再放送をみつけたらしい。

普通の英語番組ということであれば、
僕も、そのまま逃していたと思う。

ただ、番組進行を、通訳の育成もされている江口裕之さん。
本当に、博識で、「日本を再発見」をさせてくれる内容は、
僕の知的好奇心を満足させてくれる。

英語は、とうの昔に、忘却の彼方だが、
日本を新しい切り口で見せる、番組の意図は、
おっさんのハートに、小気味良く突き刺さった。

怪傑ゾロは、マスクをしていても本質は変わりません。


「面とマスクは、どう違うの?」

さて、タイトルでいう
「マスク」と「面」の違いは、どこなのか?


西洋の“マスク”は、あくまでも、
仮面の下の「個人」の本質は、変わらない。

(いわゆる「怪傑ゾロ」とか。)

日本の“面”は、その“面”をかぶることで、
かぶった「個人」は「カミ」の力を借り、
別のものに変わる。


つまり「異形」のものが
降臨することを
意味するらしい。

そういう意味では、隠すだけの“マスク”が、
“面”としてヒトのものとは思えない力を
手に入れることとなった映画の
“Mask”のコンセプトは、
日本と西洋の合作とも言え、
それが、大きなヒットにつながった

他国の制度・風習・文化のテイストを、

うまくとりいれることで、今までとは、
違う切り口のビジネスができる、
1つの見本と入れるかもしれない。





2010年3月1日月曜日

【卒啄同時と絶対負けられない戦い】



「ブログ、書いた方がいいよ。論理力が高まるから。」
と言われ、答えに窮した。

実は、ブログを書いていたからだ。
しかし、全然、更新していない。

めんどくさがりと、凝り性と、飽き性の、
バランスが、崩れたからだ。

そう、飽きたのだ。
で、しばらく、ブログを書くのを、辞めていた。

そこに、冒頭のコメント。



「卒啄同時」という言葉がある。

卒は、内側から、ヒナが、卵の殻をつつくこと。
啄は、外側から、親鳥が、卵の殻をつつくこと。

ヒナがいよいよ生まれようとするタイミングで、卵の内と外から、
同時に、殻を破るという作業を通じて、新しい生命が誕生する
転じて、『物事を学ぶタイミングの重要性』
表す言葉として知られている。

まさに、そのタイミング。

おりから、こういう舞台も用意された。文章を書くことを鍛えねばならない。
http://ogajuns2000.blogspot.com/2010/02/blog-post_5196.html





オリンピックが終わり、次は、いよいよサッカーW杯。
さぁ、戦いのとき!

「絶対、負けられない戦いがある。」
僕にも、日本にも。

というわけで、良いタイミングと思いますので、ブログの更新を再開します。
さて、いつまで、つづくことやら。