自己と他者の関係について、考えてみた。
“均衡そのものが善なのだ。”
村上春樹も、孔子も、釈迦も言っている。
おそらく、これは、正しい。
ただ、“均衡”が善として、“均衡点”をどこに置くか、が、重要なのだ。
社会で生きる上では、“自己と他者の関係の均衡点”を探らなければならないのだ。
“ほぼ”全てのことは、相対化される。
社会において、たくさんのことが、数値化され、比較・相対化される。
だからこそ、人は、絶対なるものを求め、それがあることを強く信じている。
かくいう自分自身も、絶対なものがあると信じている。
何ものにも、換え難いものがある、と。
でも、それは、あくまで、自分自身にとってだけで、
他者から見れば、“絶対”でもなんでもなく、数字に置き換わる。
だから、バランスなのだと思う。
全ての人に、“絶対” と思われるものがあり、それを思考に入れる必要がある。
ただ、思考だけをぐるぐる巡らしていても、おそらく均衡点は見つからない。
それを見つけるには、補助線がいる。
そして、この問題を解く補助線になりうるのは、
自己でもなく、他者まで遠くない誰か、なのではないか…。
具体的には、家族や友人、読書なのだと思う。
だから、家族と話し、友人の意見を聞き、読書に耽るのだと思う。
そして、そのプロセスは、一生続くのだと思う。社会で生きている限りにおいては。