ただひたすらに、自分の夢に向かっていく主人公が、
そのひたむきさと才能により、夢をかなえ、
そのかなった夢により、自らが傷つく、そんな話だ―。
そのかなった夢により、自らが傷つく、そんな話だ―。
ゼロ戦の設計者の堀越二郎の半生を、
美しい薄幸の少女菜穂子との出会いと別れを軸にして、物語は進む。
美しい薄幸の少女菜穂子との出会いと別れを軸にして、物語は進む。
また、夢の中で出会うイタリア人飛行機設計家 カプローニとの交流は、
時に、主人公を励まし、時に、グロテスクなまでの本心を代弁させる。
そのカプローニは、言う。
「飛行機は美しくも呪われた夢だ。だが私はこの呪われた王国が好きだ。」
僕はこの言葉を聞いたときに毀誉褒貶相半ばするベンチャー経営者たちを頭に浮かべた。
自分のビジョンのままに進み、世間からバッシングを受けた、そんな彼らの姿と重なった。
彼らもカプローニのように、生きたのだろうか、と。
また自分に置き換えたら、どうだろうか?
誰かを自分の夢の犠牲にしているのではないか?
仮に、そうだとして、自分の夢をあきらめられるのか?
そんな思いがいろいろと交錯した。
『風立ちぬ』のコピーは“生きねば。”である。
この言葉は、どういうこと意味しているのか?
(つらいことがあろうとも、)生きねば。
(死にたいことがあろうとも、)生きねば。
(つまらない日常に押しつぶされようとも)生きねば。
果たして、こういうことを言っているのだろうか?
映画を観終わって、改めて自分なりに考えてみた。
そして、今は、答えを見つけたような気がしている。
あとは、“その答えに外れない生き方をしているのか?”
ということを、自分の人生で問い続けようと思う。
飛行機の設計士の話なので、飛行機に注目するのは当然だが、
帽子が意味するところを考えつつ、展開を自分の中で、
再構成すると、また、違った視点で楽しめると思う。
再構成すると、また、違った視点で楽しめると思う。
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