◆パリで約20万人を動員した『こども展』
先日、『こども展』を紹介する、
ブロガーイベントに参加した。
この『こども展』は、パリで
約20万人を動員した展覧会を
日本版にアレンジした企画展。
モデルは基本、可愛い子供ばかり。
(※1)
この「こども」という切り口を
モネ、ルノワール、ピカソ、、、といった
錚々たる画家約50名が競演する形だ。
◆異彩を放つ1枚の絵
アンリ・ルソー『人形を抱く子ども』 |
異彩を放つ1枚の絵に出会う。
「なんだろう、この違和感…」
座っているような、立っているような、
怒っているような、泣き出しそうな、
なんとも言えない表情をしている。
よくわからない。
なぜ、ここに、この絵があるのか?
そんな違和感を抱えながら、
他の絵を見て回る。
◆絵を理解したがるのはなぜか?
ピカソ。
ここで、展示されている作品は、
フロンソワーズ=ジローとの間に、
恵まれたクロードとパロマに、
関わりの深いものだ。
そういえば、ピカソは
このようなことを言っていた。
人はなぜ絵画を理解したがるのだろう。
だれも小鳥の歌を理解しようとは思わない。
草木や花を理解しようとせずに愛せるのに、
なぜ、絵画となると人びとは理解したがるのだろう。
ここでいう“理解”は、“解釈”と
いうくらいの意味だろう。
僕らは、何かにおいて、
理由をつけて、自分の中の
引き出しに入れようとする。
その引き出しに入れる際の
名付け、タグづけこそが、“理解”だ。
おそらく草木や小鳥の歌を、
引き出しに入れておこうとしないのだろう。
ありふれすぎて、
あるいは価値を認めようとしないがために…。
さてさて、あの絵は、
なんなんだろうね…。
気にはなりつつ、
他の絵も見て回る。
◆こどもを悪魔から守る
ルノワール。
彼には、3人の子どもがいた。
左:『遊ぶクロード・ルノワール』 右『道化姿のクロード・ルノワール』 |
このこどもの絵を見て、気がついた。
男の子が、女の子のように
育てられている。
昔、乳幼児死亡率が高くて、
“小さな男の子は、悪魔に連れていかれる”
まさに、シューベルトの『魔王』の世界を
リアルに信じる時代がそこにあったのだろう。
シューベルト:魔王
ルノワールに関して言えば、
黄金色の子供の髪を描きたかったとも、
子どもの頭を守るためとも、
言われているらしい。
まぁ、その部分も否定はしないが、
こどもが成人するまで成長することを
“神にも祈る”気持ちだったことは
事実だったように思う。
◆ルソーが描いたのは誰か?
アンリ・ルソーの最初の絵に戻る。
ルソーは、7人の子供中、6人を
幼くして亡くすという不幸に見舞われている。
そして、この絵はモデルはよくわかっていない。
ただ、僕自身は、こう思う。
“お父さん、女の子の格好をしたけど
僕、死んでしまいましたね”と、
隠世(かくりよ)の息子から、
届けられた(と感じた)やるせない
気持ちを描いたものだと思う。
つまり、ここで描かれている
『人形を抱く子ども』は、“男の子”
“男の子”が“女の子”の
格好をさせられている、
だから不機嫌に見えるんだ。
祈った神にも見捨てられた絶望感
いや、それをも飲み込み、
救われない我が子と離れなければ
ならなかった父親としての
怒り、恨み、哀しさを、
あの表情にこめたのだ。
いわば、あの絵は、ルソーと、
“亡き我が子との対話”である。
ピカソのように、“受け止め”た違和感を
僕は、そのように“理解”した。
宗教にも、哲学にも、アートにも、
“違和感→理解”はある。
何を“受け止め”、
どう“理解”するかは、
全てあなた次第・・・。
一度、絵を目の当たりにして、
“違和感→理解”を
体感されてはいかがでしょうか?
===============
『こども展 名画にみるこどもと画家の絆』
開催期間 2014年4月19日(土)~6月29日(日)※会期中無休
場所 森アーツセンターギャラリー
開館時間 10:00~20:00
http://www.ntv.co.jp/kodomo/index.html
【プチ情報】
朝早く行くか? 夕方行くか?
開演10:00から先着50名、
17:00以降からの先着30名に
プレゼントがあります。
同じ足を運ぶなら、お時間を
ご調整されることをお勧めします。
※1 最後にクイズを1つ。
Q.「こども展」なのに、
大人の絵が1枚あります。
それは、誰が、
描かれたものでしょうか?
こども展の中にある唯一の大人の女性、さて誰を描いたものでしょうか?答えは会場で。 |
写真撮影の許可得ています。
0 件のコメント:
コメントを投稿