ピースは自分でつくる、
そしてその全体が大きなパズルを作る
ピースの1つにも意味があり、完成したパズルにもカタチがある。 |
日々の行動は、そのピースといえる。
自分にとって、どういうパズルを
完成させたいのか、イメージしよう。
そして、それに基づいて動く、考えながら。
たとえ、遠回りしても。
でなければ、完成させても、それは、
きっと自分の望むパズルではないからだ。
完成イメージは、“ある程度”必要だ。
そうでないと、
“ムダなピースを集めては、
作れないパズルを作ろうとしているのか?”
“完成に近づいているのか?”
そんな思いに、さいなまれて、動けなくなるから。
ただし、“ある程度”だ。
完璧なものをつくるという余裕のなさは、
それもまた、動きをとめてしまうから。
ガチガチに決まっていては、“ハプニング性”がなくて、
面白くない。それは、つまらない。
だから、許してもらいましょう。“ある程度”を、自分にも、人にも。
だから、許してあげましょう。 “ある程度”自分も、人も。
人生のパズルに関する2つの考え方
【A】:パズルは、完成させないと意味がない。
【B】:パズルの目的は、実は、ピースを集めることだ。
2つの間が今、自分の考え方は、【A】に近い。
目標をもって、人生を作っていこうと決めたから。
そこからしか、はじまらないと、今は、思うから。
でも、そこにあるのは、論理的なものではなく、
いわゆる、“思いこみ”だ。
自分のアイデア、思いを一つでも、
形にしていきたいと、強く思う。
しかし、【B】も、すごく素敵な考え方だ。
人生に、目標を成功ではなく、
成長と考えれば、あらゆる経験は、糧になる。
本当に、そう思う。
ただし、チームで、仕事をしていく以上、
成果を出していくことは、当然ながら、必要だ。
自分の思いだけで、人に迷惑をかけるわけにはいかないからだ。
しかし、“これ面白そう!”とか、“これ、カッコいい”っていう部分がないと、
人を魅了させるサービスや商品なんてできないし、そうでなければ、支持されない。
ところが、そこは、【B】的な要素を持ち合わせていないと、その感覚は、働かない。
そう考えると、答えは、
“【A】+【B】という矛盾”の中に
あると言えるのかもしれない。
日々を、“ムダなピース”だと落ち込むことなく、
楽しく進むのならば、それがいいのかもしれない。
よし!!
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