コンパの日程調整は、“正義”に関わる話です。
昔から、コンパや集まりの幹事をすることが、よくありました。
予算、場所、店の雰囲気などなど、決めないといけないことは、山のようにありますが、
なかでも、一番気を使うのは、参加者のスケジュール調整ではないでしょうか。
「人数が多いのは、この日だな。でも、部長のスケジュールが・・・。」
「返事まだかえってきてないけど、あいつくると盛り上がるからな・・・。」
誰を優先して、予定を組むか?
誰のメリットを優先し、どう配分するのが、正しいのか?
常識的に考えれば、2つのやりかたがあると思います。
①人数を多い日を決める→「調整的正義」=いわば、均等配分。
②部長の都合のあう日→「配分的正義」=地位・能力・努力等に応じて
決定を変化させる、いわば、傾斜配分。
決定を変化させる、いわば、傾斜配分。
ちなみに、“正義とは、ふさわしいあり方をしているかどうか”、
くらいの意味で使っています。
くらいの意味で使っています。
なんだか、悩ましい…、哲学的ですね。
どうすればいいんでしょうね。(^_^;)
どうすればいいんでしょうね。(^_^;)
あと、
③くじ(占い)で決める?→「運命(宗教)的正義」=神(絶対者)に決定を委ねる。
いわば、配分の放棄、ですかね。
③くじ(占い)で決める?→「運命(宗教)的正義」=神(絶対者)に決定を委ねる。
いわば、配分の放棄、ですかね。
ハーバード白熱教室で有名なサンデル教授は、
「人間が共同で生きているなら、どんなつながり(連帯)、
どんな社会の幸福な姿があり得るか」
いわば、「どう分配するか」の正義から、
「どう公共(全体)の価値をつくるか」という正義を論じているのだと思います。
どんな社会の幸福な姿があり得るか」
いわば、「どう分配するか」の正義から、
「どう公共(全体)の価値をつくるか」という正義を論じているのだと思います。
正義の問題の根底には、個人と公共(全体)、そして、自由と平等の対立がある。
公共=全体というフレームで考えると、イメージしやすいですが、
全体を優先するために、個人を犠牲にする全体主義、ちょっと、怖くなりませんか?
だからこそ、正義の原理が必要なのだと思います。
いやー、幹事って、本当に大変ですね。
だって、その集団の「正義」とは何か、を
提示しないといけないんですから。
ちょっと、オーバーかもしれませんが…。(^_^;)
だって、その集団の「正義」とは何か、を
提示しないといけないんですから。
ちょっと、オーバーかもしれませんが…。(^_^;)
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