2013年10月6日日曜日

【ちょっと気になるアート入門10:ラファエロ1483 -1520】『絵皿というメディアが、彼を有名にした。』


facebookに投稿をした以前のものを、ブログ転載を機にバージョンアップさせました。
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「大公の聖母」をベースにした告知看板


レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519年)、ミケランジェロ(1475-1564年)と並び、
盛期ルネサンスの3大巨匠の1人と並び称される、
ラファエッロ(
1483 -1520年)の絵画展を見てきました。
500年目の初来日ってのを聞くと歴史を感じますね(笑)


ラファエロ『自画像』(1506年)、ウフィツィ美術館


3人が活躍した16世紀初めの30年ほどは
イタリア・ルネサンスの芸術が最高に達した時期として知られています。

この30年間を盛期ルネサンス(High Rennaisance)と呼ばれるそうです。

1520年のラファエロの死と1527年ローマ略奪によって終焉をもたらされた


ラファエロの作品は、本当に素晴らしい。

柔らかい表情の聖母子像など、
眺めていると時間がたつのを忘れてしまいます。

ただ、作品もそうなのですが、
人間ラファエロも、かなり興味深い。

・ミケランジェロやダヴィンチに学ぶ吸収力
・素描を版画家に渡し、売りまくるビジネスマンとしての着眼点
・ローマ教皇からの仕事を自分の死後にも、継続、完成させるマネジメント力 

などなど、現代に、タイムスリップしても、充分仕事ができそうだ。

8歳で母を、11歳で父を、亡くしたラファエロは、
父の工房で働いていた大人たちに、囲まれて育った。

その影響か、芸術家にありがちな周囲と
大きな軋轢を起こすことは、なかったそうだ。

また、素描を元にした版画を、マヨリカ陶器師が、
デザインに取り入れたことで、ヨーロッパ中に広まり、
結果として、美術界のオピニオンリーダーとなった。

これは、メディア論としても、考えてもとても示唆に富む。

結果として、彼の画風を真似る後進を大量に生むことになり、今の名声にもつながっている。

「ラファエロはルネサンスの人々が理想とした美のカノン(基準)だった」
と言われることもあるが、その一因としても考えられる。
しかも、37歳で夭折。

やっぱり名を残す人は、エピソードに事欠かない…。

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