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『ショコラ・イデアル』 |
『ショコラ・イデアル』。
僕が、一番好きなミュシャのポスター。
ミュシャ様式の曲線美しい湯気立つココアが入ったカップを持ったお母さん。
カップが3つ、つまり人数分あるから、足りるはずなのに、待ちきれない姉妹。
ねだる妹、欲しがるけど、素直に言えなくて、指をしゃぶる姉。
匂いがここまで届いてきそう。シズル感満載!商品もきちんとおさえている。
“あなたが知らない本当のミュシャ”という
挑戦的なコピーに誘われて、ミュシャ展に行ってきた。
“アール・ヌーヴォーの寵児”
“フリーメイソンのメンバー”
このぐらいの、予備知識はあった。
ただ、それが、どう生まれたのか、ちょっと気になっていた。
『ジスモンダ』ポスター(1894) |
『ジスモンダ』のポスター。
これにより、ミュシャは、出世のきっかけをつかむ。
先日の、『3つのフレームワーク』で、ざっくり考える。
どの時代を切り取るかによって、当然、構成も変わるのだが、
パリで活躍していた時にフォーカスすると、こうなる。
1.表現者→ミュシャ
2.評価者→サラ=ベルナール
3.支援者(スポンサー)→舞台関係者、広告主~一般大衆
サラ=ベルナールからの信任を受け、
一気にスターダムにのしあがった。
工業化が進み、大量生産が可能になり、大衆芸能が花開く。
質実剛健の時代から、豪華絢爛の時代には、
流線形の、華やかな、ミュシャのデザインをはじめとする
アール・ヌーヴォーの作風がもてはされたのは、わかる気がする。
経済的に成功したミュシャは、
次第に、民族主義者の顔をのぞかせる。
その顔がいかんなく発揮されて創作された『スラヴ叙事詩』。
構想、製作に約20年かけて完成させたライフワーク。
6m×8mを超す巨大なものを含め20作。
そこには、迫害の歴史だけでなく、未来への展望、
祈りもこめた作品に仕上げ、チェコスロバキア共和国独立10周年の記念に、プラハ市に寄贈。
ただ、同時に、平和主義者ともいえる。
なぜなら、独立のなんたるかを、“芸術”で伝え、
人々を鼓舞し、武器を使わないカタチでの“民族の平和”を提示したからだ。
チェコスロバキアは、その後、ナチスドイツによって解体されが、
ミュシャ自身も、ゲシュタポに尋問をうけ、心労がたたり、その4か月に亡くなる。
ただ、これは、ミュシャの、芸術の無力をあらわさない。
事実、時を経て、遠く異国の地で、我々が、
スラヴ民族の誇りを目にすることができたのだから。
これらの事実を知ったとき、
「(自分の才能が花開いた)パリの夢
(独立後に再び侵略された)モラヴィアの祈り」
というサブタイトルの謎が解けた気がする。
ただ、本当に、ミュシャがわかったことのかどうか・・・。
でも、まだ奥に何かありそうな、そんな気がしなくもない。
これからも、引き続き、注目していきたい。
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