facebookに投稿をした以前のものを、ブログ転載を機にバージョンアップさせました。
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スペイン三大画家に数えられるエル・グレコ展を、鑑賞してきた。
エル・グレコ「無原罪の御宿り(お宿り)」 1607-13 カンヴァス・油彩 347cm × 174cm サンタ・クルス美術館蔵 |
“一度見上げたら、忘れられない。”
このコピー、掛け値なし。
3mを越える祭壇衝立「無原罪のお宿り」は、
下から見上げた時の迫力は圧倒的。
この下で、宗教儀礼が行われたところを想像するに、絵画、彫刻、建築を
融合させた空間プロデューサーとしてエル・グレコの力量には、驚かされた。
また、『無原罪のお宿り』については、
特に、マニエリスム(Mannerism)と呼ばれる
ルネサンス後期の美術傾向の影響が顕著で、
縦長のキャンバスに聖母マリアが天を仰ぎ、
今まさに高く昇っていく様子が、
特に、マニエリスム(Mannerism)と呼ばれる
ルネサンス後期の美術傾向の影響が顕著で、
縦長のキャンバスに聖母マリアが天を仰ぎ、
今まさに高く昇っていく様子が、
左右にうねるようなダイナミックな表現で描かれている。
これは、おそらく移動しながら、鑑賞する人たちに、
動きを与えるためのものではないか、と考える。
動きを与えるためのものではないか、と考える。
つまり、アニメと一緒だ。
このマニエリスム様式が見られるのではないか?
肖像画家としてのエル・グレコに、話を戻す。
彼の作品は、 本当に表情の優しい、絵の視線が、観者にぴったり合う、
生命力あふれる絵を描いた。
生命力あふれる絵を描いた。
「修道士オルテンシオ・フェリス・パラビシーノの肖像」1611年 ボストン美術館 |
当時のスペインにおいて肖像画のモデルは、
王侯や貴族がほとんどだった。
王侯や貴族がほとんどだった。
しかし、グレコは宗教者や、大学教授など、新しい知識エリート層を顧客ターゲットとして注目した。
目の付け所が、素晴らしい。
ビジネスマンとしての素養も、 十二分にあったと考えられる。
おそらく、虚栄心をそそりながら、肖像画の価値を伝え、売りまくったのではないか?
(すいません、僕のイメージ、若干強めに入ってます・・・)
その結果、トレドは、スペインの都市として、
はじめて、貴族と知識階級の顔ぶれが、
後代まで、長く知らしめることになったそうだ。
“名を残した芸術家の近くには、必ずビジネスと官能がある”
ここでも、同じことが言えるのだと思う。
さて、エル・グレコとは、「ギリシャ人」を意味する愛称。
そう呼ばれるようになったのは、スペインでは低かったとされる芸術家の地位を、少しでも高めようとしたからか?
つまり、クレタ島生まれを最大限に生かして、
異国情緒というか、外からのスタンスを手に入れたかったからなのか…。
そういう意味では、一種の「ブランド戦略」だととらえることもできるかもしれない。
いずれにせよ、芸術家だけでなく、ビジネスマンとしての、エル・グレコにも、
インスパイアされる、貴重な体験ができた。
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