2013年10月3日木曜日

【ちょっと気になるアート入門13:ルーベンス1577-1640】

facebookに投稿をした以前のものを、ブログ転載を機に、バージョンアップさせました。
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ルーベンス「ロムルスとレムスの発見」


絵筆を持った外交官 ルーベンス。

フランドルのバロック画家で、筆致のさえ、色彩、構図、官能性は、折り紙つき。
ルネッサンス期の才能の塊、万能の人として、
レオナルドダヴィンチが有名だが、

その彼に、勝るとも劣らない才能の持ち主。

ルーベンスは、ネーデルラント語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ラテン語など、
複数の言語を自在に操り、絵画主題となる歴史や文学に精通。

また、大事な収入源である工房を約2年閉鎖してまで、
スペインとネーデルラントに平和をもたらすために、スペイン、イギリス間を奔走。
教養あふれる外交官と愛国的な情熱家の顔を合わせ持つ。

また、二度の結婚を通じて8人の子供をもうけた。
(うち一人はルーベンスの死後に生まれている!)

亡くなった兄の子供を引き取るなど、家族思いの一面もあった。

さらに、ビジネスマンの顔を持ち、優秀な版画家を探すためなら外国にも行く。
注文の厳しさに耐えかねた版画家が暗殺未遂事件を起こしたとも…。
ルーベンス「キリスト降架」

僕らの世代では、「フランダースの犬」のネロ少年が最期に見たとされる
「キリスト降架」「聖母被昇天」が有名ですね。

“名を残した芸術家の近くには、必ずビジネスと官能がある”が、持論。

今回のルーベンスで言えば、


【① 工房という組織及びその運営】

まだまだ一人で完成品を担っていた時代に、
大量の注文をこなす体制を作るために、「工房」を設立。

ほぼ全てをまかせられるヴァン=ダイクのような
優秀な弟子がいる一方、ルーベンスの質に到達できない人もあり、
自ら手直ししたりすることもあった。
ただ、間に合わない場合は、そのまま客に納品したりすることもあった…。 
大変ながらも、フル回転で対応していた姿が目に浮かぶ。


【②独占的版権の確保】

独占的版権を持っていた、ルーベンスは、若い助手や協力者に、
自分と同じ作風のものを作るよう指示。

ルーベンスはごく早い時期から、自作の版画化を考えていたようだ。
コルネリス・ハレ版刻の《ホロフェルネスの首を斬るユーディット》(1610年代)の
銘文に
「ヴェローナでの約束に従い、友人のヨハネス・ヴォフェリウスに
自作に基づく最初の版画を捧げる」とある。


修業の仕上げとしてイタリアに赴いたルーベンスが、
同郷の古典学者ヴォフェリウスとヴェローナで落ち合ったのは

1602年のことだった。しかし、ルーベンス工房の版画制作が
本格的に開始されたのは、1610年代末と考えられる。


 というのは、1619年、20年に、ルーベンスは自作に基づく
版画を独占的に刊行する特権の承認を、自国スペイン領ネーデルラント(フランドル)、
オランダ、フランスの各当局に申請して許可されているからである。


以後ルーベンスは自分が直接刊行に携わった版画には、

これらの国々から特権を得ている旨をラテン語で明記した。
            
  (学習院大学大学院人文科学研究科美術史学専攻 WebLibraryより)

【③コラボレーション】

人物はルーベンスが描き、動物は、専門画家のスネイデルズが描くような
同一画面に、異なる作風が共存させたコラボレーション作品がある。

「熊狩り」など、動物の躍動感があふれ、
人物の表情が生き生きするような、傑作もある。



ペーテル・パウル・ルーベンスとフランス・スネイデルス、および工房
《熊狩り》 


つまり、我々と非常に近い考え方の萌芽は、
何百年も前のヨーロッパで、すでに存在し、機能していた。


そう考えると、アートとビジネスの関係の
面白さに、
心強く、惹かれるのである。

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