ヨメが、司書になるために、通信制で勉強をしている。
いわゆる、女子大生だ。
「情報化社会と情報の選択」なんて、教科書を、
盗み見してみると、なかなか面白い。
その中でも、特に、『情報公開制度と、プライバシー問題』を
取り上げる件は、特に、興味深い。以下、ちょっと、まとめてみる。
現代は、高度情報通信社会だ。
高度情報社会とは、face-to-faceのリアルワールドと、コンピュータの
ネットワークの中のサイバースペースが織り成すハイブリッドな社会だ。
しかも、知らず知らずのうちに、生活の中に、コンピュータシステムが
組み込まれ、気がつくと、日本語1文字分のプログラムミスで、
交通網が大混乱するという脆弱性の上に成り立っている。
そんな見えると見えないが混在する社会において、
個人情報保護法に基づくプライバシー保護の問題と、
情報公開における適用除外の問題には、丁寧な交通整理が必要だ。
“国、企業を含む社会から個人情報を、いかに保護するか”
というのが、『個人情報保護』の眼目だ。
これに対し、『情報公開における適用除外』とは、
“行政側に、生活者が、情報公開を求めるものの、
公共の福祉やプライバシーの観点から、
情報公開に応じない項目を認めること”だ。
情報公開制度は、行政の透明性を担保する、
民主主義社会における重要な仕組みの一つだ。
これに対し、「プライバシーの問題」で、適用除外を認めることが、
公共の福祉に反しないのか?という疑問は残る。
確かに、情報公開制度の申請は、
何人であっても、どんな組織に対しても、申請ができる。
外交や国防の機密は、確かに、防諜の観点からも、
秘匿されるべきだが、それを、“隠れ蓑”に国民に不利な情報が、
全てでてこないことは、民主主義社会に対して、大きな禍根を残すことになる。
ただ、「プライバシーの問題」も非常に、重要だ。
古典的なプライバシーの概念は、19cのアメリカで、
印刷物が巷にあふれ、いわゆる大衆社会に迎合する形で、
生まれたイエロー・ジャーナリズムに対する、
“the right to be let alone”である。
これに対し、現代的なプライバシーの概念は、
20c後半のコンピュータネットワーク、いわゆるサイバースペースの
著しい進展に呼応する形で、便益を受ける一方、時に、基本的人権の
侵害を受けたり、財産的な被害を受けたりする個人の生活に対して、
自己に関する情報のコントロールする権利の確立を目指す方向だ。
何が、情報の秘匿で、何が保護なのかは、立場により、
見方が変わるところもあり、一概には言えないが、
試行錯誤を繰り返しながら、対応していくことで、
情報公開制度とプライバシーの権利の確立を行っていくしかないのだと思う。
(参考情報:インターネットの「人口」普及率・利用率とその推移)http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/6210.html
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