西洋文明が、雪崩れ込んだ明治期の人間模様を、 司馬遼太郎は、『坂の上の雲』として、表現した。 その冒頭には、 「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている」と 記している。 あれから、100年以上が経つ。 平成のニッポンは、デフレの中で、喘いでいる。 だが、知恵と企画で、坂の上まで、到達すると信じたい。 そして、その頂きには、一筋の光が差し込んでいるはずだ。 日々の中の多様な出会いを通して、 自分を含めて、まわりの人と、 ゆたかに、たのしく、すこやかに、 なれるよう考えて、行動していきたいと思います。 読んでもらえる人に、そんなことが伝わればと 願っています。
2010年6月5日土曜日
【「学校参観日」に見る小学生の「見える化」】
今日、上の小1の子の学校参観日に行ってきた。
この小学校、校長先生が、「開かれた学校」を標榜していて、
比較的、保護者が参加しやすい土曜日に、参観日を設定してくれている。
しかも、2時間目から、4時間目の好きな時間に行っていいところや、
玄関のところに、地域のシルバーセンターからの派遣だろうか、
優しい顔の監視員さんも配置してくれるなど、
今の時代にあった心配りがありがたい。
さて、授業は、
2時間目:セーフティ教室
3時間目:算数
4時間目:国語
セーフティ教室ってところに、時代を感じる。
自分たちは、3時間目の途中から、授業参観に参加した。
だいたい最初は、自分の子がいることを確認するのだが、
そのあとは、わりと余裕がでてくる。
少し他のクラスが気になって、
隣のクラスをのぞく。
そうすると、授業の進め方に、個性があるのだなぁと気づく。
ベテラン先生は、聞いている親も
わかりやすくいいテンポだ。
教室も、秩序だった感じだ。
親の自分が聞いていても、わかりやすい。
ただ、ちょっとついていけない子供いた気もした。
対する若手先生のクラスは、全体的に、なんとなく騒がしい。
でも、話をきかせるところの、工夫が面白い。
「ピッ」と声をかけ、黒板に貼ってある紙を動かす。
白いコピー用紙に、それぞれ、
色の違う教科書・ノート・筆箱のカードを動かすのだ。
教科書を読むときは、
教科書のカードを手前に、
机の上に何も置かない時は、
白いコピー用紙だけが残るように。
いわゆる「机の上の見える化」だ。
ちなみに、隣のクラスは、やっていない。
そもそも、そんなことをしなくても、静かに、
クラスをコントロールできているのかもしれない。
ずっと、授業をみているわけではないので、
どちらがいい等は、一概に言えないが、
若手先生の、いいものを取り入れるような
柔軟な姿勢は見ていて、微笑ましい。
失敗を恐れず、創意工夫する姿は、
こちらも、見習いたい。いやー、勉強になりました。
ただ、娘の発表の機会は、見逃してしまったらしい。Orz
下のチビッ子のじっとしている我慢の限界だったんだので、
つい早めに帰ってしまったのだ、娘よ、すまん・・・。(^_^;)
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