2013年10月27日日曜日

【自殺戦争の敵はだれか?】


映画『Saving 10,000: Winning a War on Suicide in Japan』を見た。



交通事故で亡くなる人が16,000人を超えた1970年。
“交通戦争”とキャンペーンを張り、官民一体となって、その戦いに挑んだ。
その結果、2012年で4411人。さらに、2018年(平成30年)を目途に
2,500人を目標に対策に取り組んでいる。



一方、自殺者は、どうか?


統計のある平成22年までで、年間30,000人以上の自殺者を13年以上続いている。

確かに、日本社会の中で、“自殺”を美化する文化的背景もあるかもしれない。
だから、世界的に見ても、上位にいる。



だが、果たして、そうだろうか?

もし、そうだったら、人口の一定数の%に応じて、
多少の前後はするものの上下間を推移するのではないか?


そう思ったのはなぜか?
映画を見ていて、気になったフレーズが出てきたからだ。
“自殺ウイルス”
“ウイルス”と言われるくらいだ。感染力がある。
では、何によって感染したのか?

この映画で述べられているのは、“報道”だ。
報道は、自殺を“ショー”にしている。

確かに、WHOが出す『自殺を予防する自殺事例報道のあり方』に
抵触するケースが多々見られる。

【自殺を予防する自殺事例報道のあり方ですべきこと】

○事実の公表に際して保険の専門家と密接に連動する
○自殺は自殺成功とではなく自殺既遂と呼ぶ
○関連する情報だけを中面記事として公表する
○自殺に代わる手段を強調する
○電話相談や地域の支援機関に関する情報を提供する
○危険指標や危険信号について周知させる

【自殺を予防する自殺事例報道のあり方ですべきでないこと】

○写真や遺書を公開しない
○具体的で詳細な自殺手段を報告しない
○単純化した理由付けをしない
○自殺を美化したり、扇情的に扱わない
○宗教的な固定観念や文化的固定観点を用いない
○悪人探しをしない
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自殺者が爆発的に増えた年、1998年

日本の年間自殺者数(警察庁発表データによる)が、
前年より8000人以上増加して初めて3万人を超える。
中でも、50代の自殺が急増。

一体、何があったのか?
調べてみた。

象徴的な事件もあった。
それにより、“自殺報道”は増えただろう。

ただ、それだけが原因なのか?
確かに、【流行語】も、“貸し渋り”、“日本列島総不況”など、
経済的に暗い世相を映している。


ちなみに、前年である1997年も付記しておく。


話を戻す。

仮に、原因がわかっても、
個人に何ができるのか?
人の悩みは、お金、人間関係、健康に集約されるという。
でも、その割に、セーフティーネットが、あまりにも頼りなさすぎる。

平成18年、第一次安倍政権の国会で、
消費者金融と、自殺者に関するある質問がなされた。


要約すると、借りた人間が
自殺による保険金を以て、
返済した件数、4,908件。

1人の平均借入社数、2.54件。
4,908件÷2.54=約2,000人。

これだけの人が、結果として自殺による
生命保険で借金を返済したことになる。

借りたものは返す。
その原則で、契約社会は回っている。

ただ、命を投げ出してまで、
返すことを強要されるのが正しいのか? 

なにか方法はないのか?

東京都は、“ゲートキーパー”として、自殺予備軍への声掛けを進めている。

宗教家は、身近な人に声をかけることや、
笑顔で接するなど、「無財の七施」で、“一隅を照らす”ことを説く。




ここまで書いて思う。
自分も、同じように場面で、その1人を救えるのか・・・?

・ブルーライトが効果的だ、
・新宿の20代、30代の女性の自殺率が突出している、
・作家がこれほど自殺する国は他にない、
・自殺での保険金の免責は1年だから、13か月での自殺が多い、
 今は2年だから、25か月目の自殺が多い…。

こんなこと知っていても役に立つのか?
わからない…。

でも、誰かにパスする、それしかない。
そんな祈るような気持ちしかない。


東尋坊で自殺予防の声掛けをしている茂幸雄さんの
『自殺したらあかん-―東尋坊の“ちょっと待ておじさん”』から、引用する。
岩場に座っている人を見つけたら、最初、どんな言葉をかけるんですか?

ごく普通の挨拶言葉です。

せっかく旧友と会ったのですから、
  こんにちは…!
  どちらから来られましたか?
  ここまで来るの、大変でしたでしょ?
  途中で、渋滞に巻き込まれませんでしたか?
  何時ごろに、ここに着きました?
  日本海の海はね、一見穏やかに見えますが、
  いったん海が狂い出すともの凄いんですよ…
  あの高い岸壁が波に飲み込まれてしまうんですよ…!
  しかし、いったん荒れが治まると、何事も無かったように平穏な姿に戻るんです。
  ところで、今日はこの後どうされますか?
  「宿」は取ってありますか?
などと話しかけます。”

こんな普通の言葉が、誰かの悩みに触れ、
その人を救うことにつながる、
その瞬間に至る前のサインに気づけば・・・。
誰かを救えるかもしれない。

この監督が、映画を作ったきっかけは、隣人の自殺だ。
何回も、何回も、サインを出していたのに…。
10,000人を救うと言いつつも、隣人1人も救えなかったと悔やむ。

最初に挙げた、『自殺戦争の敵はだれか?』の問い。
監督の答えは、『鏡の中にある』、つまり、無関心の自分自身だ。

そして、その問いは、僕にも向けられている。





2013年10月22日火曜日

知っているようで知らない 法則のトリセツ~仕事編~


ZONE:刺激×集中力のパフォーマンスが一番いいところ

 起こった現象をグルーピングして、
“法則”というラベルをつければ、それっぽく聞こえる。

人は、ある現象が起きたとき、
それが起こった原理や理由を求める。

これは、いわば、科学の萌芽と言えるものだが、
そんな少し面倒くさいクセを持っている。

ただ、この面倒くさいクセが、
人類発展の礎を築いたところも否めない…。

昨日に引き続き、『知っているようで知らない 法則のトリセツ』を読んでいる。
今日は、“仕事編”。

いやな仕事を先に延ばしたり、最初はあったやる気が下がったりした
経験を、お持ちではないだろうか?

“まとめ”を“まとめて”みる。

時間を長期的な観点のもと、有効に使いたいものですね。


○やる気に関する法則

■やる気が次第に下がるのは「ハネムーン効果」のため。
  さらに、業績の悪い組織は「ハロー効果」でますますやる気減退。

■しかし仕事を先延ばしすると「エメットの法則」で処理に2倍の労力がかかる。

■「コミットメントと一貫性」「マニャーナの法則」で仕事をリスト化、
  余計なストレスを減らし、「ピークエンドの法則」で自分にご褒美を与えよう。

○限られた時間を有効活用する法則

■ 「ホフスタッターの法則」通り、仕事は自分が思う以上に時間がかかる。

■そこで「パレートの法則」に則り、勤務時間の20%で重要事項を処理せよ。

■ 「時間のマトリックス」を利用して時間を分類、
  さらに「時間のアセットアロケーション」により、長期的に自己啓発する。

自分のやりたいことをきちんと回転軸にのせる


○集中力を高めてミスを防ぐ法則

■集中力アップには「初頭効果」「終末効果」 報酬効果」 を活用しよう。

■ 「ヤーキーズ・ドットソンの法則」により適度な緊張感が集中を高める。

■ 「フロー状態」 「ZONE」でピークパフォーマンスを実現せよ。

○プランニングや目標設定の法則

■目標を文書化すれば心理学的な「予言の自己成就の法則」が働く。

■プランニングには「SMARTの法則」などのフレームワークを活用。

■ 「 to do管理」は「アイビー・リー式」と「メリタ式の箱」で。

○斬新なアイデアを生み出すための法則

■アイデアが発生しやすいのは「移動中・お風呂場・寝る前(3B)」である。

■アイデアをメモする際は「マンダラート」や「マインドマップ」を利用せよ。

■ 「アイデアは楽しんで生み出すもの 」と言う自己暗示をかける。

マンダラート:3×3、真ん中、1つを中央にして、更に掘る


○判断に関する法則

■人間の判断は必ずしも合理的ではなく「判断のヒューリスティック」が働く。

■判断の不合理さを研究した「プロスペクト理論」が注目を浴びている。

■ 「ソマティック・マーカー仮説」によると、直観も軽んじるべきではない。



経験則も、実験して得られた結果として“法則”と名付けられたものもある。
これらを一覧すると、なぜか全てそれっぽく聞こえてくる。
(これも、人間のクセかw)

いずれにしても、これらの法則を一つの鏡に、
人間のクセと、上手くつきあっていきたいと思う。




2013年10月21日月曜日

知っているようで知らない 法則のトリセツ~職場編~

人間関係における法則はチェックシートのようなもの。
一通りチェックして、例外があれば、ピックアップして、微調整する。


人間関係における“法則”は、
再現性があるのだろうか?


今回『知っているようで知らない 法則のトリセツ』を手に取ってみた。
人間関係の法則は、物理の法則と違い、絶対ではない。
いわば、チェックシートだ。

ただ、躓いたときに振り返ると、
これらのチェックシートの有用性がよくわかる。
聞いたことのあるものから、聞きなれないものまで、たくさんある。

“まとめ”を“まとめて”みる。

上司と部下に関する法則

■人は与えられた役割を忠実に果たそうとする「役割演技」心理傾向がある。
■職場における上司と部下もそれぞれ「役割演技」していると考えられる。
■「桃太郎の法則」を参考に、上司の役割と自分のタイプを観察しよう。

◯評価と出世に関する法則

■ 「ステレオタイプ」 「ハロー効果」などにより、その評価を歪みやすい。
■「好意の互恵性」 「バンドワゴン効果」などを利用して評価を上げよう。 
■それでもいずれ「ピーターの法則」によって無能よばわりされることになる。


バンドワゴン:ある選択が多数に受け入れられている、
流行しているという情報が流れることで、
その選択への支持が一層強くなる。


◯ 人や部下を動かす法則

■優しい上司は部下に期待をかけて「ピグマリオン効果」を狙え。 
■厳しい上司は「コミットメントと一貫性」 「モデリング効果」を狙って叱咤せよ。
■ほめるなら「条件付け」 「ウィンザー効果」で緩急つける。 
■いずれにしても、 「働きアリの法則」「傍観者効果」 「社会的手抜き」によって
  一部の怠け者が生じるのは避けられない。


◯意思の疎通に関する法則

■我々は知り合いの知り合いを5人たどると世界中の人とつながっている。
■情報ネットワーク理論によると、社内コミュニケーション復活させるには、
勤務中の無駄話を認め、社内飲み会なども適度に行うべきである。


◯会議で勝つ法則
■会議で反対意見が出やすい状況は「スティンザー効果」で把握せよ。
■そして「バンドワゴン効果」「スポイラー効果」「投票のパラドックス」を利用して議論を勝ち抜け。


清須会議でも秀吉はこのテクニックを存分に使った?


少なくとも自分の思考パターンが増えることは間違いない。
ただし、法則に踊らされるか、上手く使いこなすかは、自分次第。
それこそ、「思考のパラドックス」を起こさないよう気をつけたいものだ。









2013年10月9日水曜日

【ちょっと気になるアート入門7:2+2=5 戦争に翻弄された音楽家】

facebookに投稿をした以前のものを、ブログ転載を機にバージョンアップさせました。
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パソナホール:水上ステージ


秋山ゆかりさんのレクチャーコンサート「2+2=5 戦争に翻弄された音楽家」に行ってきました。

レクチャーコンサートとは、演奏と、演奏された曲にかかわる作曲家、演奏家など
音楽のつくられた背景を語ってもらう、いわば一粒で二度おいしいコンサート。

秋山さんの経歴を知れば知るほど、驚くことばかり。

事業開発系コンサルタントでありながら、ソプラノ歌手。
大学で教えながら、新刊も出す。一体、1人で何役こなすつもり?・・・(^_^;)


いま、アーティストがなんらかの運動やっていても、
本人はじめ、死ぬことはないと思っているでしょう。

でも、今回、紹介してくれた音楽家たちは、
生死をかけて亡命したり、妻を当局に売ったりなどして、
まさに、身を削って、ぎりぎりの中で、自分の表現と向き合ってきた。

戦争がなかったら、生まれなかった音楽。
いろいろと、考えされられました。

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戦争でクラシック音楽が、プロパガンダとして使われたり、
戦争がきっかけで音楽家の生き方が大きく変わりました。

特に、帝政ロシアからソ連誕生、第二次世界大戦を経て、冷戦終結まで、
戦争に翻弄された音楽家が居なければ、今耳にしているような音楽は存在していません。

亡命の地アメリカで生きていくためのお金を稼ぐ術として、
まさに、命を削って、映画音楽を作りまくる、そして、
それがアメリカの東側へのプロパガンダとして使われました。

たとえば、は作曲家としても、演奏家としても有名でしたが、
亡命に際しピアノメーカーのスタインウェイに多額の借金をした結果、
年間200回以上のコンサートに出演せざるを得なくなり、
結果、10年以上も作曲ができなくなり、失意の中に生きざるを得ませんでした。

たとえば、スターリンに愛されたグリエールですが、
ドイツ開戦の時にロシアが苦戦し、そのロシア国民を鼓舞するための曲を
依頼され作ったのが、「コロラトゥーラソプラノのための協奏曲」。

歌詞のないヴォカリーズ(あ~で全部歌います)にしたのは、
万が一スターリンが、歌詞が気に入らなければ迫害を受けるため、
無理やりソプラノを楽器に見立てた協奏曲を作ったのです
(声楽の協奏曲はこの曲しかないそうです)。

この戦略が見事成功し、スターリンに社会主義の音楽家第一号と認定されました。


タイトルの「2+2=5」について

1928年にソ連のスターリン政権が、
5か年計画を4年で達成するスローガンとして「2+2=5」を掲げました。

この成功によりソ連型社会主義と呼ばれる独自の社会体制を確立し、
社会主義と資本主義の対立の序曲が始まり、その結果、多くの戦争を生み出しました。

この「2+2=5」のフレーズを世界的に有名にしたのは、
20世紀最高の小説と呼ばれるジョージ・オーウェルの「1984年」が
小説を象徴するフレーズとして「2+2=5」を使ったからです。

「2+2=4」と言えないのが戦争。

そんな矛盾を抱えながら、生きるために音楽家たちが下した
それぞれの決断と生き方を、音楽の裏にある物語として伝えたい。
そんな思いから、テーマとして掲げさせていただきました

演目: 

第一部
◆ チャイコフスキー バレエ「白鳥の湖」より 「第二幕 情景」
◆ リムスキー=コルサコフ 歌劇「サルタン皇帝」より 「熊蜂の飛行」    
◆ ラフマニノフ 「楽興の時作品16 第4番」    
◆ ショスタコヴィッチ 「ブロークの7つの詩」より 「オフィーリアの歌」 
◆ ストラヴィンスキー バレエ「プルチネルラ」組曲より 「II セレナータ」
◆ ストラヴィンスキー 歌劇「ナイチンゲール」より 「ナイチンゲールの歌」   
◆ プロコフィエフ ソナタ第6番「戦争ソナタ第四楽章」 
◆ ラフマニノフ 「14のロマンス」より 「ヴォカリーズ」 (Op.34-14)     

第二部
◆ スタイナー 映画「風と共に去りぬ」より 「タラのテーマ」 
◆ グリエール 「コロラトゥーラ・ソプラノのための協奏曲 Op.82」 より「第一楽章 アンダンテ」
◆ リムスキー=コルサコフ 「グリンカの主題による変奏曲」      
◆ スクリャービン 「2つの左手のための小品」
◆ バーンスタイン 歌劇「キャンディード」より 「着飾ってきらびやかに」
◆ ハチャトゥリアン バレエ「ガヤネー」より 「剣の舞」   
◆ ピアソラ 「リベルタンゴ」

                          (秋山ゆかり公式ブログより転載、一部改編)
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コンサートの最後に、“The War is Over”を持ってくる構成がまた素晴らしかった。

開催告知ポスター 兵士と音楽のコントラストがなんともせつない







2013年10月8日火曜日

【ちょっと気になるアート入門8: CMプランナーの生き方、生き残り方】

facebookに投稿をした以前のものを、ブログ転載を機にバージョンアップさせました。
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スニッカーズのCM を手がけた  

本多 正樹さんとお話する機会を頂いた。

CMは、人にものをつたえる技術なので、アートではない。

でも、生き方がアートだなぁーと思ったので、ちょっとご紹介します。

広告会社の営業マンからキャリアをスタートした

本多さんだが、制作については素人だった。

そんな中、CMプランニングの基礎から学ぼうと、

専門学校の門をたたく。

公募の受賞パーティーで知り合った方に紹介され、

今の会社に、CMプランナーとして入社。

怖いもの知らずで、ラッキーパンチが

当たったビギナーズラックの時代を経て、スランプへ・・・。

今思えば、クライアントの言うことを聞きすぎ、迷走していたと・・・。


しかし、くすぶっていた暗黒時代を抜ける企画を思いつく。


それが、「ニケツロデオグランプリ」!




クライアントも乗り気。
でも、直前に会社からストップがかかる!

「世界初の乗り物?

ケガ人出た時の責任の所在は?」

しかし、緻密な計算をしていた

本多さんは、腹をくくった。

問題が起きたら、責任をとってやめようと・・・。

結果、大成功。そこで得た教訓。

「新しいことをやろうとすれば、障害がおこる。

逆に、障害のない仕事は、たいした結果を残さない。
やってしまえ。」と。


これは、沢尻エリカさんの、

あのCMが話題になる、ほんの少し前のお話。


ね、アートっぽいでしょ。

そんな本多さんのブログは、こちら

広告の事例やアイデアがいっぱいあるのですが、
いくつかご紹介させていただきます。

その中の1つが、こちら。




日本も台風シーズンですが、
アメリカの台風(ハリケーン)をモチーフにした

非常に面白いキャンペーンをご紹介。

気候変動問題の解決に向けて運動する団体、
350Actionが仕掛けたClimateNameChangeです。


アメリカでは、大きなハリケーンにアンドリューとかカトリーナとか、
なぜか人の名前を付けるのが慣例になっています。


これを利用して、気候変動の事実を認めず各地の
甚大な被害の根源になっている一部の政治家に抗議するため、


ハリケーンの名前を彼らの名前に変えるよう名付け元の
世界気象機関(World Meteorological Organization)に
嘆願するというユニークなアイデアです。


もしこの嘆願書が通れば、
「カトリーナが猛威を振るっています」という報道が
「マルコ・ルビオ上院議員が猛威を振るっています」と変わり、

世間の気候変動問題への関心を煽れるという訳です。


このアイデアの素晴らしいところは、
ハリケーンの名前を変えるという
たった一点の交換(パロディ)で
全て言いたいことが表現できてしまうところ。

ビデオの視聴数は200万に近づき、
嘆願書に必要な7万5千人の署名も
ほぼ達成圏内に入ってきているので大成功といえるでしょう。

制作は、数々の名作ユーモアCMを作ってきた
Gerry Graf率いるBarton F. Graf9000。

彼らお得意の毒っ気あるユーモアが
こういった抗議運動とうまくマッチしたのが発見です。


最後に、もう一つ。

オーストラリアの鉄道事故防止のキャンペーンの事例。


こちらは、今、現在YouTubeで、6000万回以上の再生を数え、

Dumb Ways To Die
(グランプリ5冠 PR部門/Direct部門/Radio部門/Integrated部門/Film部門)

を受賞した作品。

“おバカな死に方あるよね。こんな、おバカな死に方しないように・・・”
っていう、メッセージで結果、事故が21%減ったとか・・・。

ただ、面白いだけではない、効果もきちんとあるということを実証した広告でした。






(ちなみに、こちら→日本語訳バージョンです。よろしければ、どうぞ!)




2013年10月7日月曜日

【ちょっと気になるアート入門9:飴細工】『鉄と飴は、アツいうちに?』

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タイムリミット2分の芸術、飴細工。

体験してきました。

80℃の飴の熱が逃げる迄の
そのわずかな時間が、勝負。

熱い!と思ったその刹那、
僕が、熱を奪っている。

今回、手ほどきを受けたのは、
若き飴細工アーティスト、手塚 新理さん

甘い顔していますが、
結構、スパルタですf^_^;)

師匠にお世話になり、なんとかかんとかできたウサギの飴細工

飴細工は、普通の彫刻とは、逆に端から作って行きます。

繊細さより、豪快さが必要。

握りバサミを使って飴を美しく造形する、
日本の伝統技術のひとつ。

歴史を紐解く。

“西洋菓子の飴細工と日本の伝統的な飴細工は、
この分野での交流が資料として認められないものの、

発祥の違いこそあれ、製法や技術にあまり大差がなく発展している。

11世紀にはアッバース朝の第35代カリフ、ザーヒルの命令で
砂糖細工が作られたとされており、菓子を技術的に装飾するという考え方がすでにあった。

ただしこれはあくまで焼き固められた砂糖菓子であり、飴状のものを加工したものではない。
日本の飴細工の歴史は、中国から来た職人が
京都に住み町で売ったことで技術が伝来したといわれ、

延暦15年(796年)の東寺の建立時に飴細工がつくられ、
供物としてささげられたという。


16世紀、南蛮菓子として成立した有平糖は
有平細工と呼ばれる高度な製菓技術を誇った。

享和元年(1801年)には良質の水飴が越後で作られて、
関西方面で広まったともといわれている。
江戸では飴職人が細工をした飴を街に出て売り歩き、細工の技術と種類が増えた。

引き飴技法によるバラの装飾


洋菓子の世界ではパティシエがその技術と芸術性を発揮できる分野である一方、
和菓子の飴細工は有平細工のような例外を除いて、
もっぱら大道芸、伝統工芸の1つと見なされている。


伝統工芸としての飴細工は、飴の特性上、
製作および保存の過程における扱いが難しいことをはじめ、

量産できないこと衛生的な面
さらに実物を目にする機会があまりないうえ、

その労力の割にはビジネス面での見返りが少ないことなどから、
見た目の派手さとは裏腹に、
技術の伝承がされにくい側面があった。

これに対して、洋菓子作りが趣味として一般化するにつれて、
その技法の1つである飴細工が
広く認知されることとなり、
カルチャースクールの洋菓子作りのカリキュラムで取り上げられるようにもなっている。”

                                             (wikipedia より)

なるほど。

だから、聞くところによると、現代日本には、確かな技術を持つ
飴細工職人は、数名程度にまで減少してしまったそうだ。

ビジネスは、やはり大事。それがなければ、
伝統の継承もままならない現実が、確かにある。


だからこそ、芸術も、たくさんの人たちに支持されるアツいうちに、
手を打たないといけない。

今、ここに至っては、正直、飴のようには、甘くはない現実。
ただ、熱い飴は、案外伸びる。

これから飴細工が、伝統の灯が消えることなく、
末長く伸びるように、広がりますように。


2013年10月6日日曜日

【ちょっと気になるアート入門10:ラファエロ1483 -1520】『絵皿というメディアが、彼を有名にした。』


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「大公の聖母」をベースにした告知看板


レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519年)、ミケランジェロ(1475-1564年)と並び、
盛期ルネサンスの3大巨匠の1人と並び称される、
ラファエッロ(
1483 -1520年)の絵画展を見てきました。
500年目の初来日ってのを聞くと歴史を感じますね(笑)


ラファエロ『自画像』(1506年)、ウフィツィ美術館


3人が活躍した16世紀初めの30年ほどは
イタリア・ルネサンスの芸術が最高に達した時期として知られています。

この30年間を盛期ルネサンス(High Rennaisance)と呼ばれるそうです。

1520年のラファエロの死と1527年ローマ略奪によって終焉をもたらされた


ラファエロの作品は、本当に素晴らしい。

柔らかい表情の聖母子像など、
眺めていると時間がたつのを忘れてしまいます。

ただ、作品もそうなのですが、
人間ラファエロも、かなり興味深い。

・ミケランジェロやダヴィンチに学ぶ吸収力
・素描を版画家に渡し、売りまくるビジネスマンとしての着眼点
・ローマ教皇からの仕事を自分の死後にも、継続、完成させるマネジメント力 

などなど、現代に、タイムスリップしても、充分仕事ができそうだ。

8歳で母を、11歳で父を、亡くしたラファエロは、
父の工房で働いていた大人たちに、囲まれて育った。

その影響か、芸術家にありがちな周囲と
大きな軋轢を起こすことは、なかったそうだ。

また、素描を元にした版画を、マヨリカ陶器師が、
デザインに取り入れたことで、ヨーロッパ中に広まり、
結果として、美術界のオピニオンリーダーとなった。

これは、メディア論としても、考えてもとても示唆に富む。

結果として、彼の画風を真似る後進を大量に生むことになり、今の名声にもつながっている。

「ラファエロはルネサンスの人々が理想とした美のカノン(基準)だった」
と言われることもあるが、その一因としても考えられる。
しかも、37歳で夭折。

やっぱり名を残す人は、エピソードに事欠かない…。

2013年10月5日土曜日

【ちょっと気になるアート入門11:エル・グレコ1541-1614】

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肖像画家、宗教画家として、ベラスケスゴヤとともに、
スペイン三大画家に数えられるエル・グレコ展を、鑑賞してきた。

エル・グレコ「無原罪の御宿り(お宿り)」 1607-13
カンヴァス・油彩 347cm × 174cm サンタ・クルス美術館蔵



“一度見上げたら、忘れられない。”
このコピー、掛け値なし。


3mを越える祭壇衝立「無原罪のお宿り」は、
下から見上げた時の迫力は圧倒的。


この下で、宗教儀礼が行われたところを想像するに、絵画、彫刻、建築を
融合させた空間プロデューサーとしてエル・グレコの力量には、驚かされた。



また、『無原罪のお宿り』については、
特に、マニエリスム(Mannerism)と呼ばれる
ルネサンス後期の美術傾向の影響が顕著で、
縦長のキャンバスに聖母マリアが天を仰ぎ、
今まさに高く昇っていく様子が、
左右にうねるようなダイナミックな表現で描かれている。

これは、おそらく移動しながら、鑑賞する人たちに、
動きを与えるためのものではないか、と考える。

つまり、アニメと一緒だ。

だからこそ、システィーナ礼拝堂の天井画
ミケランジェロによる壁画「最後の審判」も含め、
このマニエリスム様式が見られるのではないか?



肖像画家としてのエル・グレコに、話を戻す。


彼の作品は、 本当に表情の優しい、絵の視線が、観者にぴったり合う、
生命力あふれる絵を描いた。

「修道士オルテンシオ・フェリス・パラビシーノの肖像」1611年 ボストン美術館

当時のスペインにおいて肖像画のモデルは、
王侯や貴族がほとんどだった。

しかし、グレコは宗教者や、大学教授など、新しい知識エリート層を顧客ターゲットとして注目した。

目の付け所が、素晴らしい。
ビジネスマンとしての素養も、 十二分にあったと考えられる。


おそらく、虚栄心をそそりながら、
肖像画の価値を伝え、売りまくったのではないか?
(すいません、僕のイメージ、若干強めに入ってます・・・)


その結果、トレドは、スペインの都市として、
はじめて、貴族と知識階級の顔ぶれが、
後代まで、長く知らしめることになったそうだ。

“名を残した芸術家の近くには、必ずビジネスと官能がある”
ここでも、同じことが言えるのだと思う。


さて、エル・グレコとは、「ギリシャ人」を意味する愛称。

そう呼ばれるようになったのは、スペインでは低かったとされる芸術家の地位を、少しでも高めようとしたからか?

つまり、クレタ島生まれを最大限に生かして、
異国情緒というか、外からのスタンスを手に入れたかったからなのか…。

そういう意味では、一種の「ブランド戦略」だととらえることもできるかもしれない。

いずれにせよ、芸術家だけでなく、ビジネスマンとしての、エル・グレコにも、
インスパイアされる、貴重な体験ができた。


2013年10月4日金曜日

【ちょっと気になるアート入門12:猪飼 祐一 1963~】アートが生まれる偶然、都市のクリエイティビティ

facebookに投稿をした以前のものを、ブログ転載を機に、バージョンアップさせました。
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猪飼祐一さんの作品を、見てきました。
以前、猪飼さんは、ブルックスのCMに、出演されていたことがあったので、 
ひょっとしたら、ご本人をご覧になられた方も多いかもしれませんね。


お皿一つにも、よく見れば個性があるのに気づきます。

作風は、釉薬に、独特の風合いがあり、
青やエメラルドグリーンなど、寒色系のガラス質にも、ほんのり温かみがある。

料亭でも高く評価される品の良さを日々の食卓を
彩る器に、ということで、花器や茶わん、ぐい呑みなどが、並ぶ。

実は、猪飼さんとは、ちょっと変わったご縁でお知り合いになる機会を得て、
そのきっかけで、木箱に入った“ぐい飲み”を頂いたことがございます。
うちの中にある、数少ない特別な食器の一つになっています。
まぁ、本筋とは離れますので、おいといて・・・。

氏は、京都五条坂の由緒ある陶器商の家に生まれ、
作陶を志し、人間国宝 故清水卯一氏に師事。
現在、日本工芸正会員。数多くの受賞歴を持つ。

持論が、“名を残した芸術家の近くには、必ずビジネスと官能がある”なので、
作品もすごく重要なのですが、個人的には、作家の周辺環境にも、非常に興味があります。

以前お会いしたことのあるお父上が、
雑誌のインタビューで、商売のコツを語っていらっしゃった。

“うちは、主に料亭など他府県のお客様が多かったのですが、
昭和五十年代に店売りに力を入れはじめてから、観光のお客様も増えました。
商売は、自分の売りたいものだけを売っていては駄目ですが、
かといって店のポリシーが感じられないのも駄目。

私としては、常によりいいものを、そしてせっかくうちに来ていただいたんだから
京都らしい品を提供していきたいと思っています。

昔からうちで言われてますのは、「商売は大きくするな」ということ。

商売を広げると、どうしても安く大量に売り出さざるを得ない。
ところがそれではいいものは扱えません。

これからますます、器というのは、趣味性が高くなっていくでしょうから、
そうしたお客様の要望に応えるためにも、私の目の届く範囲で商品を扱わんといけません。”

                                  (『京を語る』より)

素晴らしい先見性を持つ父。
そして、その地が育んだ才能を持つ息子。

京・五条坂は古来清水焼伝統の地。
そうそうたる名陶工の活躍し、清水焼発祥の地として、現在もまた
陶芸作家・窯元・卸店・小売店が軒を並べていて京焼・清水焼の
伝承の地として、全国にその名を馳せてます。

アートが生まれる偶然、都市のクリエイティビティを深く考えされられました。

「これに、料理を盛り付けると映えるんだろうなー。」
なんて思いながら、大皿見ていましたが、
子供が割ることのリスクを考えると、ちょっと躊躇してしまう自分がいました。(^_^;)

気になる方は、販売サイトがありますので、
よろしければ、一度、ご覧になってはいかがでしょうか?




2013年10月3日木曜日

【ちょっと気になるアート入門13:ルーベンス1577-1640】

facebookに投稿をした以前のものを、ブログ転載を機に、バージョンアップさせました。
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ルーベンス「ロムルスとレムスの発見」


絵筆を持った外交官 ルーベンス。

フランドルのバロック画家で、筆致のさえ、色彩、構図、官能性は、折り紙つき。
ルネッサンス期の才能の塊、万能の人として、
レオナルドダヴィンチが有名だが、

その彼に、勝るとも劣らない才能の持ち主。

ルーベンスは、ネーデルラント語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ラテン語など、
複数の言語を自在に操り、絵画主題となる歴史や文学に精通。

また、大事な収入源である工房を約2年閉鎖してまで、
スペインとネーデルラントに平和をもたらすために、スペイン、イギリス間を奔走。
教養あふれる外交官と愛国的な情熱家の顔を合わせ持つ。

また、二度の結婚を通じて8人の子供をもうけた。
(うち一人はルーベンスの死後に生まれている!)

亡くなった兄の子供を引き取るなど、家族思いの一面もあった。

さらに、ビジネスマンの顔を持ち、優秀な版画家を探すためなら外国にも行く。
注文の厳しさに耐えかねた版画家が暗殺未遂事件を起こしたとも…。
ルーベンス「キリスト降架」

僕らの世代では、「フランダースの犬」のネロ少年が最期に見たとされる
「キリスト降架」「聖母被昇天」が有名ですね。

“名を残した芸術家の近くには、必ずビジネスと官能がある”が、持論。

今回のルーベンスで言えば、


【① 工房という組織及びその運営】

まだまだ一人で完成品を担っていた時代に、
大量の注文をこなす体制を作るために、「工房」を設立。

ほぼ全てをまかせられるヴァン=ダイクのような
優秀な弟子がいる一方、ルーベンスの質に到達できない人もあり、
自ら手直ししたりすることもあった。
ただ、間に合わない場合は、そのまま客に納品したりすることもあった…。 
大変ながらも、フル回転で対応していた姿が目に浮かぶ。


【②独占的版権の確保】

独占的版権を持っていた、ルーベンスは、若い助手や協力者に、
自分と同じ作風のものを作るよう指示。

ルーベンスはごく早い時期から、自作の版画化を考えていたようだ。
コルネリス・ハレ版刻の《ホロフェルネスの首を斬るユーディット》(1610年代)の
銘文に
「ヴェローナでの約束に従い、友人のヨハネス・ヴォフェリウスに
自作に基づく最初の版画を捧げる」とある。


修業の仕上げとしてイタリアに赴いたルーベンスが、
同郷の古典学者ヴォフェリウスとヴェローナで落ち合ったのは

1602年のことだった。しかし、ルーベンス工房の版画制作が
本格的に開始されたのは、1610年代末と考えられる。


 というのは、1619年、20年に、ルーベンスは自作に基づく
版画を独占的に刊行する特権の承認を、自国スペイン領ネーデルラント(フランドル)、
オランダ、フランスの各当局に申請して許可されているからである。


以後ルーベンスは自分が直接刊行に携わった版画には、

これらの国々から特権を得ている旨をラテン語で明記した。
            
  (学習院大学大学院人文科学研究科美術史学専攻 WebLibraryより)

【③コラボレーション】

人物はルーベンスが描き、動物は、専門画家のスネイデルズが描くような
同一画面に、異なる作風が共存させたコラボレーション作品がある。

「熊狩り」など、動物の躍動感があふれ、
人物の表情が生き生きするような、傑作もある。



ペーテル・パウル・ルーベンスとフランス・スネイデルス、および工房
《熊狩り》 


つまり、我々と非常に近い考え方の萌芽は、
何百年も前のヨーロッパで、すでに存在し、機能していた。


そう考えると、アートとビジネスの関係の
面白さに、
心強く、惹かれるのである。