1980年代から深淵で 複雑な精神のありようを捉え、
人物彫刻を制作してきた舟越桂。
ただ、今回見てきたのは彫刻ではなく、新作の版画。
彼曰く、「版画には、デッサンでも、彫刻でもできない
世界があらわれることがある」そうだ。
世界があらわれることがある」そうだ。
制作にあたって使われたメゾチントという技法は、
いったん真っ黒にして、白く抜く作業で像が浮かぶ。
このメゾチントを、少しひも解いてみる。
メゾチント Mezzotint(伊)“直刻法による凹版技法の一種。
フランスではマニエル・ノワール(黒の技法)と呼ぶ。
ロッカーもしくはベルソと呼ばれる道具(先端が櫛のように細かく刻まれた弧状の刃物)を
版全体に当てて無数のまくれを作り、それを削ることで描画する。
削り取った部分が白く浮かび上がり、その加減でやわらかなグラデーションができる。
まくれを作る作業(目立て)をムラなく行なうには相当の手間を要する一方、
まくれは圧力でつぶれやすいために耐刷性に乏しく、印刷枚数は限られる。
ドイツのL・ジーゲンが17世紀半ばに発明し、イギリスで肖像画家制作技法として広まった。
絵画の複製に盛んに用いられたが、リトグラフや写真製版の登場とともに急速に衰退。
20世紀に入ってからこれを復活、発展させたのが、長谷川潔である。
また長谷川に次いでこの技法を開拓し、カラーメゾチントを開発した浜口陽三の名も特筆される”
(『現代美術用語辞典2.0』より)
長谷川潔 『狐と葡萄』 |
浜口陽三『西瓜』 |
物理的には、“現れる”、
しかし、善い事が、“顕れる”という意味では、
人間に対する“祈り”に似た表現に近いと思った。
あらゆることがそうかもしれない・・・。
原因と結果ということにさかのぼれば、
人間の原罪と、現在に向き合うことから、逃れられない…。
ただ、そう思うと、暗澹たる気持ちに沈む一方、それとは違う、
真逆の、未来へ臨む気持ちも、かき立てられもするのだ。
つまり、版の上も、人生も、やったことだけが“あらわれる”
“自分の中を見つめる視線を表現していきたい”、
と言った言葉を受けて「ダブル・イメージ」というテーマを思いながら、
もう一度『オーロラを見るスフィンクス』を見た。
と言った言葉を受けて「ダブル・イメージ」というテーマを思いながら、
もう一度『オーロラを見るスフィンクス』を見た。
人は、聖なるものと、その逆のものをもつ。
それを強く印象づけられた、そんな版画だった。
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