2015年1月6日火曜日

1月6日 廃棄が正しい選択


まだ行なっていなかったとして今これを始めるかを問わなければならない。


 まだ行なっていなかったとして、かつ今知っていることをすべて知っていたとして、
今これを始めるかを問わなければならない。


答えがノーであるならば、次の反応は、それでは何を行なうかでなければならない。

 次のような場合には、直ちに止めることが正しい行動である。

第一に、製品、サービス、プロセス、市場の寿命が
まだ数年あるという状況では、廃棄
が正しい行動である。

膨大な人手を奪うのは、そのような
死につつある製品、サービス、プロセス、市場である。

それらのものが、最も生産的で有能な人材を縛りつける。

 第二に、製品、サービス、プロセス、市場が
償却ずみを理由として維持されている状況では、廃棄が正しい行動である。

コストのかからない資産など存在しない。コストは埋没しているにすぎない。

 第三に、最も重要な状況として、製品、サービス、プロセス、市場が、
これから成功させるべき製品、サービス、プロセス、市場にとって
邪魔になった状況では、廃棄が正しい行動である。
(『明日を支配するもの』)


ACTION POINT 
実際にこの質問を行い、
答えがノーであったならば、
いかに愛着があろうとも
廃棄の決断をしてください。

==========

体系的な廃棄が教えることは、「人生との向き合い方」である。


もし、今、知っているあらゆる情報を持っていたとしたら、
あなたは、その選択肢をとっていますか?

ドラッカーが言っていることは、
いわゆる「市場との向き合い方」である。

「その商品、サービスに、
組織として今、リソースを
割り当てることが正しいのか?」ということだ。

それは、思い入れのある商品だとか、
今、利益が出ているかは問わない。

寿命があまりない、償却ずみ、
新しい商品の障害になる商品は
廃棄せよ、ということだ。

これは、「個人の問題」に置き換えても一脈通ずるところがある。

例えば、今につながる関係を 決定した時点に遡り、
今と同じ情報を持っていれば、どうするだろうか。

今の職場は?
今のパートナーは?
今の友人は?

これは、すごく怖い問いだ。

自ら発する問いに、
自らも晒されるということだ。

惰性、腐れ縁、馴れ合い…。

僕のFacebookでの
交際ステータスを、
「複雑な関係」にしている。

それは関係が
固定的なものではなく、
その維持には、
日々「廃棄」される可能性を
忘れないようにする為だ。

みなさんの場合は、
いかがだろう?

HY 366日 


この歌の主人公のように、
頭でわかっていても、
「廃棄」できず、苦しむ…。

それも、人間だ。

でも、だからこそ、
「勇気」を出して、
「廃棄」して、前を向く。

人生と向き合う。
市場と向き合う。

大事なことだ。




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