2013年4月1日月曜日

【色のない社会】

“わかりやすい”こと が良しとされる、
時間がなく、情報が多い時代。

世界をわかりやすく、単純に切り取ること。
Simple is beautiful

否定はしません。
便利な部分もあるから。

ただ、アナログの音を、デジタル変換されるように、
複雑な含みは、認識されうる範囲に整理される―。

つまらなくない?
そんなベッタリとした色しかない社会。

 “複雑さを複雑なまま、伝える手段がないものか?”
また、“そのことに興味を持たせることができないものか?”

混沌した世界のイメージを共有するために―。

村上春樹氏が、長編の新作を出されますね。


彼の“色彩”が、どんな意味を持つかわかりません。
でも、そもそも、“色”という言葉には、「色物(イロモノ)」「情事」など、
失われつつある猥雑なイメージもある。

気鋭の社会学者 貝沼博氏は、その猥雑な“色”に焦点をあて、
多くの人を背けたくなるが、厳然と存在するものに、光を当て、
著作「漂白される社会」として、現代日本社会を切り取った。

読むと、悪いお酒を飲んだみたいに、
酩酊感と気分の悪さを味わえます。
でも、手放せない。また、口をつけてしまう。



ただ、子供の新しい色鉛筆を見て思うんです。

社会には、複雑で、濁りもある、
しかし、きめ細かい、微妙ないろいろな「色」がある。
単純には、割り切れない。

犯罪を擁護するつもりはないが、すべての人が
“正義の側に立つ”ことにも、違和感を覚える。

大事な色鉛筆から、なくなっていく。
いろいろな色があるから、 “色彩”のある社会が成り立つ。

それを“正義”という漂白剤の名のもと、
無色透明化(窮屈で、無味な)される社会が、
いいとは思わないんですよね。 

みなさん、どう思われますか?



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