2015年1月14日水曜日

1月14日 マネジメント的視点が鍵


仕事の最前線にマネジメント的視点をもたらすこと

それ自体が1つのイノベーションである。


 あらゆる生産手段のうち、人的資源ほど効率の悪いものはない。

この人的資源の活用に成功したわずかな企業が、
生産性と産出量の飛躍的な向上を実現する。

人的資源こそ生産手段の主たる機会である。
したがって、今日関心を集めている設備や技術のマネジメントではなく、
人材のマネジメントこそが最大の関心事でなければならない。
しかもわれわれは、人的資源の生産性を
もたらす鍵が何であるかを知っている。
報酬や手法ではない。
考え方としてのマネジメント的視点である。

仕事と製品をマネジメントの目で見ることすなわち、
それらのものを全体との関連において見ることである。


(『新しい社会と新しい経営』)

ACTION POINT 
あなたの組織に、マネジメント的視点を植えつけるためには何ができますか。

==============

「マネジメント的視点が鍵」だとすれば、その鍵は、どんなカタチをしているのだろうか?



「マネジメント的視点」が大事なのはわかる。
人的資源の生産性を向上させる、そのことに異論はない。

ドラッカーのメタファーを読み解いていく。

鍵であけるものは、
"扉"なのか?、"宝箱"なのか?、"金庫"なのか?
いずれにせよ、鍵を通して、
"
より価値あるものへアクセス"
できることを意味している。


"より価値あるもの"とは何か?

企業においては、"成果"だろう。

なんらかの行動を通して得た
金銭的に価値あるもの世間からの評価
集まってきた人材などなど。

しかし、その鍵=マネジメント的視点は、
どんな
カタチ=手段をしているのだろうか?

つまり、具体的にはどこから手をつけないといけないのか

そこには、まず、その"価値あるもの=成果"のすり合わせがいる。

なぜか?

「マネジメント的視点」は、全体を見る視点だとして、
その見える"全体"は、"立場"に依存するからだ。


ここまでを整理する。


"鍵"である「マネジメント的視点」をもって、
"より価値あるもの=宝物=成果"を手に入れる。


しかし、"成果"は、立場によって、変わる可能性がある。

野球を例えに見てみる。

ピッチャーは、目の前のバッターを
抑えることが「成果」である。
コーチは、チーム力の向上が「成果」である。
監督は、ファンを喜ばせ、
勝つ野球を見せることが「成果」である。

また、日本シリーズで優勝すること、日本一の観客動員数、
親会社への貢献など
、「成果」は、立場や考え方で変わりうる。

三層のすり合わせ

そこで、会社(組織)の構成員を三層に分けて考えてみる。
そうすれば、それぞれの"成果"が見えてくる。

経営層(監督)=ブランド(ファンが喜ぶ野球)
=らしさ=競争力の源泉
管理層(コーチ)=検証(チーム力の向上)
→ヨコ展開=競争力の強化
現場層(選手)=担当業務の遂行(個人力での貢献)
競争力の発揮

いま、成果が出せず悩んでいるのだとしたら、踏み出す"最初の1歩目"は、
"自分のポジションを理解"した上で、
"他ポジションとの成果のすり合わせ"を
すること

そして、そのような機会を経ることで、
それぞれの"成果"が
全体につながることを
理解すること。そして、
それぞれの持ち場で、
能力を発揮すること。

これこそが組織が"最大の成果"を
手に入れる
"鍵のカタチ"なのだ。










2015年1月13日火曜日

1月13日 一般教養としてのマネジメント 


マネジメントとは一般教養である。


 マネジメントとは、伝統的な意味における一般教養である。

知識、自己認識、知恵、リーダーシップという人格
関わるものであるがゆえに教養であり、
同時に実践応用にかかわるものであるがゆえに教養である。

 したがってマネジメントに携わる者は、心理学、哲学、倫理学、経済学、歴史、物理学など、
人文科学、社会科学、自然科学の広い分野にわたる
知識と洞察を身につけなければならない。




それらの知識によって成果をあげなければならない。

病人の治療、学生の教育、橋の建設、ソフトの設計と販売など、
成果をあげることに使わなければならない。

(『新しい現実』)

ACTION POINT 
自らの成長を人文科学や社会科学の学習によってはかるために、
どのような計画をもっていますか。
まだならば今日そのような計画を立ててください。

==============

「マネジメント」における「教養」とは、のりしろ」である。


「マネジメント」と「成果」について、
悩んだことのある人にとって、
1つの考え方を提示します。

「選択と集中」が大事だと言われるが、
それは、果たして、正しいのでしょうか?

その「選択」が「近視眼的」なものだったら、
その「集中」は「長期的」な成功を約束しない。

しかし、そもそも、株主からの監視の厳しい環境下で、
マネジメントは「長期的」な、
あるいは、
「大局的」な見地に立てるのだろうか?

ここで書かれている「マネジメント」には、
つの側面がある。

1.知識としての「マネジメント」
2.方法論としての「マネジメント」
3.実行者としての「マネジメント」

結局、「経営」とは、取り得る選択肢の1つでしかない。

常に、他の可能性にさらされ、
そことの比較を追及される。

フレーズ1つ、施策1つで、成果が変わる。

だから、迷わないための指針としての「経営理念」がいる。
しかし、金科玉条のように変えないことだけが正しいわけではない。

その狭間を生き抜くために、
「マネジメント」には、「教養」という
"のりしろ"がいる。

"のりしろ"としての「教養」があるから、
現在の選択肢の代替案を探す余裕も、
万が一の時のリカバリーもできるのだ。

仮に、マネジメントに「教養」がなければ、どうなるか?
おそらく、その答えは、独善的なものになる。
さらに、「独善」はいずれ、目を曇らせ、組織を危機に追い込む。

なぜなら、「教養」とは、
「他の考え方も成り立ちうることを知ること」
だから。

知識としての「マネジメント」と正しく向き合えれば、
組織に「幅広い見識」と「共通認識」をもたらす。

方法論としての「マネジメント」を正しく活用できれば、
組織に「成果」と「チャレンジするマインド」をもたらす。

実行者としての「マネジメント」を正しく配置できれば、
組織に「高い目標意識」と「多様性」をもたらす。

教養をもって、成果をあげなければならない。
知識だけでは足らず、成果だけでも足りない。



"武術家なるもの 人と対するに
武術をもって接せず 武徳をもって接せよ
"

これは、小さい頃に読んだ『闘将!!拉麵男』(たたかえ!!ラーメンマン)にあった言葉だ。

マネジメントが「教養」を持つ意味と上の言葉が重なる。

「教養」は、全てが「成果」に還元されうるわけではない。
同様に、「武術」で全ての「人」に対峙するわけではない。

つまり、この武術家のように、"イザ"というときには戦える"武術"を持ちながらも、そのくぐった修羅場や、修行培った
"武徳"で人と接することと、マネジメントが「教養」として
可能性としての"幅広い見識"を持ちながら、全ての"策"を
講ずるわけではないという余裕。

そして、それが、組織の"のりしろ"になるのだと、確信する。

近視眼的なマーケティングに満足せず、
組織に"のりしろ"を持ちたいのであれば、
「教養」を大事にする素養が必要だ。

ちょうど革新的な企業Googleが、
"20%ルール"を持っていることも、
その傍証となるだろう。

2015年1月12日月曜日

1月12日 はじめに実践ありき


意思決定の前提とすべきものが「すでに起こった未来」である。


 政府、大学、ビジネス、労組、教会のリーダーたる者が
意思決定のすべきものが、「すでに起こった未来」である。

「すでに起こった未来」を知るには、今日当然としているものに反し、
したがって新しい現実をもたらしつつあるものは何かを知らなければならない。

 学者や知識人は、はじめに理論があり、政治、社会、経済、心理の現実は
それに従って形成されると考える。そういうこともある。だが滅多にない。

理論が実践に先行することはない。
理論の役割は、すでに有効性を確認された実体を体系化することにある。


個を一般化し、教え学ぶことのできるもの、
一般に適用できるものにすることにある。

(『新しい現実』)

ACTION POINT 
意思決定の前提にしているものは陳腐化していませんか。
市場で勝つには、思考の枠組みを変えなければならないのではないですか。

==============

「はじめに実践ありき」とは、未来への応用問題である。

「決定」の精度を上げて、
より多くの成果を得たいと思ったことはないだろうか?

「見込」をはずして、"思い出したくもない!!"
というような
大損を食らった経験をお持ちの方もいるはずだ。

実験を繰り返して、精度を挙げられるものもある。

ただ、現実には、そうならないものの方が多い。
例えば、就職先、大きな買い物、前例のないプロジェクト…。

ドラッカーは、その問いに、
1つの視点を提供してくれる。

「決定」したことが「見込み」とずれるのは、
前提=視点、視座」がおかしいことが原因の1つだ。
(あとは、力不足とミスコミュニケーション)

ドラッカーは、その「前提」とすべきものを、
「すでに起こった未来」と置けと説く。

そして、その「新しい現実をもたらしつつあるもの」が
"何か"を見よ、と。

理屈はわかる。
だが、どうやって、探せばいい?

その1つの可能性のヒントは、"ニュース"にある。

文字通り、"ニュース=NEWS"、
東西南北のNEW(新しいもの、こと、考え)の複数形だ。

ニュースで扱う、その事実が1つの可能性だ。

常識や当たり前、ニュース価値がないと
判断されているものは、ニュースとされない。

つまり、「話題」にあがらない。

もちろん、「世論誘導」という目的もあるかもしれないので、
鵜呑みにすると損をすることがある。

そうではなくて、ニュースが伝える"事実"の"背景"を
注意深く追うことで見えてくる可能性を見つけるのだ。
つまり、事件が起こる要素を1つ変えれば、
生まれたであろう、"別の事実"の可能性だ。


例えば、「生乳価格上昇」というニュース。

①起こった事実の次のステップを想像してみる。

「乳製品」に価格が連動し上昇?→買い控える?予算を削る?

②起こった事実が、このまま続くと見る。

「牛乳」の買い控え?→カルシウム不足を補う低価格商品のニーズ発生?

③起こった事実から逃げる。

代替品を探す動きはどうか?→別の材料になりうるもの、手法が開発されうる?



「すでに起こった未来」は、
「ターニングポイント」だということを以前書いた。

そして、その連なる可能性
見越して、行動してみる。

もし、間違えたとしたら、
そこまで戻って別の選択肢を取る。

それを繰り返すことで、「決定」の精度が上がり、
より多くの「成果」をあげられるようになるはずだ。

そのためにも、あなたも、「ニュース」の奥にある
可能性を想像して行動してみてはいかがだろうか?









2015年1月11日日曜日

1月11日 人のものとしてのマネジメント



マネジメントとは人にかかわることであり

善悪にかかわることである。

マネジメントとは、仕事の絆で結ばれた
コミュニティとしての組織
において機能すべき
ものである。

共有する目的のもとに、仕事の絆で結ばれた
コミュニティとしての組織
ものである
からこそ、
マネジメントとは人にかかわることであり、善悪にかかわることである

私自身、大学で宗教学を教えていたころよりも、
コンサルタントの仕事を通じてより多くの神学を学んだ。

(「マネジメントの仕事を教える」『ニューマネジメント』誌収録)

ACTION POINT 
一緒に仕事をしている人に悪い人がいませんか。
そのことについて何かできることはありませんか。

==============

「マネジメント」とは、「旗振り役」である。

これを書いた時点のドラッカーは、目指した「組織」の理想は、
"目的"を共有した地域の「コミュニティ」のようなものだった。

だから、マネジメントに、閉じられた世界の伝統の中で
培われた「善悪」を重ねたのだと思う。

もし、そうでなければ、全て「損得」を基準にしようという話になったはずだ。

ただ、その後、企業社会の中の「組織」ではなく、
「NPO」にその理想をスライドさせたように思う。

社会的つながり、目的を求める姿、利益優先ではない姿勢。

昨日のマズローの欲求五段階に重なるが、
人の目的は、段階によってかわり、
それぞれ、そのどれもが正しい。

ただし、自分に「武器」がなく成果を上げる能力がなく、
貢献できないのであれば、組織や集団内で、
その立場は弱く、自分の判断する「善悪」を
貫くことは難しいだろう、と思う。

だが、逆かもしれないとも思う。

善悪を貫くこうとする姿勢に、
力が追いつくのかもしれない。


そうだとしたら、今は、仮に力はなくとも、
世界を救う「勇者」として、立ち上がればいいんだ。

今は、例え「レベル1の勇者」としても…。
まぁ、いつまでたっても、「レベル1」でいるのも困り者だが・・・w

企業を人体に見立てるのならば、
「成果=顧客の問題解決としての商品、
サービス、ありがとうの声」
という
エネルギーを取り込み、そのプロセスとして「利益」がでる。

そして、世間や社会という"畑"にまくことで、
新たな"価値"を生みだしてくる。

だから、"利益"を目的にするのは順序が違う。

それは、ドラッカーが、
"企業の目的は、顧客の創造"と
喝破したことにも通じる。

そして、マネジメントは、人類に寄与するがために、
ドラッカーは「人のもの」として、時代に合わせ
発展させていかねばならないと考えたのだと思う。

そのためには、「マネジメント」は、時代に応じた
旗を振り、周りを鼓舞させなければならないのだ。









2015年1月10日土曜日

1月10日 圧制に代わるマネジメント



自立した組織に代わるものは

全体主義による独裁である。

組織が自立性を失うならば、個人はありえず、
自己実現を可能とする社会もありえない。

自立性を許さない全体主義が押付けられる。
自由どころか民主主義も不可能となり、スターリン主義だけとなる。

自立した組織に代わるものは、全体主義による独裁である。

 全体主義は競争を許さず、絶対のボスを据える。

責任を与えず、恐怖によって支配する。

組織を廃絶し、すべてを包含する官僚機構に吸収する。

財とサービスの生産は、苦役として強制的、恣意的かつ
不経済に行なわれ、膨大なコストの下に低迷するだけとなる。

組織が責任をもって成果をあげることだけが、自由と尊厳への道である。
成果をあげる責任あるマネジメントだけが圧制を防ぎ、かつ圧制に代わるものとなる。

(『マネジメント-課題・責任・実践』)

ACTION POINT
さらに成果をあげるには何をなすべきでしょうか。

※圧制…無理に抑えつける。圧政…権力で抑えつける政治。

==============

「自立した組織」とは、全体主義による独裁に対する『防波堤』である。」


『防波堤』とは、言わずと知れた外洋から打ち寄せる波を
防ぐために海中に設置された構造物である。

その目的は、波浪から港湾の内部を安静に保つことや、
津波や高潮の被害から陸域を守ること、
あるいは海岸の侵食を防ぐことなどである。

「自立した組織」自身、その構成員自身が、
外部環境から身を守り、内部組織を守り、疲弊するのを防ぐ。

しかし、その『防波堤』も、時と共に劣化する。

今は、自立できていたとしても、
油断をすれば、それがままならない状況になる。

この書かれた時代は、「自立した組織」で、
「全体主義」に立ち向かおうとドラッカーは考えていたのだろう。

「組織」か「個人」か関わらず、
「自立した存在」とならなければ、何かに依存する。

全体主義、もう過去の遺物と思われるかもしれない。

しかし、身の安全と引き換えに、
ボスが考える「全体」に委ねるのならば、
呼称はともかく、内実は同じものと言える。

依存は、ジャッジの基準を歪める。

本当は違うと思っていても、

黙っておこう・・・。
言われている事だけやればいい・・・。
聞いているフリをしよう・・・。

となる。

成果を挙げれば何でも許される、ことでない。

ただ、「成果」を挙げなければ、
「存続」は、脅かされる。

「自立」は生易しいことではない。
また、全てのものに反発することでもない。

だが、「自ら立つ」という気概なくしては、
「自分の意にそわぬ」波に飲み込まれてしまうだろう。




2015年1月9日金曜日

1月9日 企業としての個の確立



トップマネジメント以外はすべてアウトソーシングできる。


 ネクスト・ソサエティでは、トップマネジメントがそのまま企業となる。

トップマネジメントの責任は、
①方向づけ、②計画、③戦略、④価値、⑤原則、⑥構造、⑦関係、
⑧提携、⑨合弁、⑩研究、⑪開発、⑫設計、⑬イノベーションにおよぶ。

組織としての個の確立には価値観が必要となる。

ネクスト・ソサエティにおけるトップマネジメントの
最大の仕事が、組織としての個の確立である。

 第二次世界大戦後の半世紀間、企業はその経済的側面、
すなわち富と雇用の創出において成功を収めてきた。

しかし、ネクスト・ソサエティにおける企業の最大の課題は、
社会的な正統性の確立、すなわち
価値使命ビジョンの確立である。

他の機能はすべてアウトソーシングできる。

(『ネクスト・ソサエティ』、eラーニング教材『ネクスト・ソサエティ』)

ACTION POINT 
価値、使命、ビジョンだけを考え、
他のものはすべてアウトソーシングするべく検討してください。

==============

「企業としての個の確立」とは、
『"らしさ"を認めてもらうこと』である。

個性的な企業として、アップルを例にとる。

僕が考える「アップルらしさ」とは、
カッコいいデザインのハード、使いやすいOS、
それらがつながることで作られる全体感。

それは、「世界観」という言葉で
言い換えられるかもしれない。

その「世界観」をサイモン・シネック氏が、

Here's how Apple actually communicates. 
アップルならこんな風に伝えます

"Everything we do, we believe in challenging the status quo.
「我々のすることはすべて 世界を変えるという信念で行っています

We believe in thinking differently.
違う考え方に価値があると信じています

The way we challenge the status quo is by making our products beautifully designed, simple to use and user friendly.
 私たちが世界を変える手段は 美しくデザインされ 簡単に使えて 親しみやすい製品です

We just happen to make great computers. Want to buy one?"
こうして素晴らしいコンピュータができあがりました」 一つ欲しくなりませんか?

Totally different right? You're ready to buy a computer from me.
 全然違うでしょう?  買いたくなりますよね?

All I did was reverse the order of the information.
今したのは 情報の順番を逆にすることでした

What it proves to us is that people don't buy what you do; people buy why you do it.
これが示すのは 人は「何を」ではなく 「なぜ」に動かされるということです

People don't buy what you do; they buy why you do it.
人は「何を」ではなく 「なぜ」で購入するのです

This explains why every single person in this room is perfectly comfortable buying a computer from Apple.
だからこの場にいる人はだれもが 安心してアップルから コンピュータを買っているのです

But we're also perfectly comfortable buying an MP3 player from Apple, or a phone from Apple, or a DVR from Apple.
そして MP3 プレイヤーやスマートフォンや ビデオレコーダーも 安心してアップルから買えるのです

But, as I said before, Apple's just a computer company.
でも アップルは単なるコンピュータ会社です

There's nothing that distinguishes them structurally from any of their competitors.
アップルと他社とで 何か仕組みが違うわけではありません


①企業としての「価値観」をつくる。(WHY)
②その実現方法を提示(How)
③その上で、出来上がった製品、サービスを提示する。(What)

こうやって、企業は、個の確立という
「らしさ」を手に入れ、
消費者に認知される。

そのことで他者と差別化が可能になる。

製品・サービスの差別化が難しくなる中、
企業の『らしさ』作りは、消費者をファンに変えうることを考えると、
圧倒的に重要だ。







2015年1月8日木曜日

1月8日 知識労働者の自律性


知識労働者には自律性と責任がともなう。


 知識労働者には自律性が必要であるからこそ、
彼らに対し、なすべきことと、もたらすべきもの(成果)
明らかにすること要求しなければならない。

 知識は多様であって、知識労働者のもつ知識もそれぞれ異なる。

したがって彼らは、自らが専門とする分野については、
誰よりも詳しくなければならない。

彼らは知識をもつことによって報酬を得ている。

仕事に取り組むからには、自ら計画を立て、自ら行動しなければならない。
知識労働者たる者は、自らの行動計画を組織に提示しなければならない。

何に重点をおくか、いかなる成果を期待できるか、それはいつまでに可能か。
知識労働者には自律性と責任がともなう。

(『明日を支配するもの』、eラーニング教材『知識労働者の生産性』)

ACTION POINT
重点、成果、期限を含む行動計画を作成し、上司に提示してください。

==========

知識労働者の自律性とは、
『組織の歯車』である。


マネジメント側、依頼者側から相手の「専門性」がわからない。
だから、それを明らかにすることを要求する。
すごいシンプルだけど、大事なことだ。

知識労働者とは・・・


知識労働者の例として、「医師」を挙げる。
自分が病気になって、診察を受けたする。

病院で、医師に「◇専門性」があると信ずるのは、
まずは「①資格、免許」があるからだ。
「◇専門性」を担保する1つのやり方が、「①資格、免許」だ。

その次に、その「①資格」を裏付ける「②経験」を聞くだろう。
そして、その「②経験」に基に出した、「③方針=なすべきこと」を聞くだろう。

その上で、自分の望む、意図する『☆成果』(=もたらすべきもの、この場合は治癒)が
得られる可能性を見出し、治療に臨むのだ。

もちろん、業種によっては、「①資格、免許」が形骸化されているとの声もある。
また"時代"の変化のスピードが速く、①資格、免許が追いつかない場合もある。

その上で、知識労働者の自律性を考える。

自律、自分を律する。
村山誠氏は、自律をシンプルに「●+●=○」で表す。

自分を律する、とは、
自分とのルールを守ることだ。

自分とのルールを守るのは何のため?

「①資格、免許」を剥奪されないため?
「②経験」を積むため?
「③方針」の精度をあげるため?


知識労働者も人間である。

その人間の欲求をフレーム化した、
マズローの欲求5段階説がある。



(1)生理的欲求
(2)安全の欲求
(3)社会的欲求
(4)尊敬、評価の欲求
(5)自己実現の欲求

知識労働者が今、望むものは何か?

人間の欲求モデルは多いが、今回は、
マズローの5段階欲求と照らし合わせ、
知識労働者の持つ『ルール』を紐解く。

生活の資を得る「生理的欲求」のためか?
プライドを満たす「尊敬、評価の欲求」のためか?
理想を具現化する「自己実現」のためか?

働く知識労働者が持つ「欲求」は違う。
それを確認し、動いてもらう。

知識労働者の持つ「専門性」を
十二分に発揮してもらうために。

1.知識労働者が持つリソース。
2.マネジメントが持つ視点。
3.それをつなげるコミュニケーション。

つまり、知識労働者の自律性とは、
『組織の歯車』である。


もし、マネジメントが
1)歯車の特性がわからず、
2)目指すべき場所を示さず、
3)適切な役割を与えなければ、
歯車は、空回りするだろう。

だからこそ、知識労働者は、自らの専門性を明らかにし、
自律的に働くことは、組織に対する責任と言える。

逆に、その歯車(リソース)が、次のパートに、
うまく力を伝達(コミュニケーション)することができれば、
組織は力強く駆動できる。

知識労働者自身は、「働く目的=欲求」とポジティブな向き合う、
あるいは、見つけることで、自分から動けばいい。

内発的動機で自主性・成長・目的が大事だという
ダニエル・ピンク氏は、東洋経済のインタビューで、
"人生の早い時期から、自らの目的を探すために、本音の会話を始めること、
そして、目的は時の経過とともに少しずつ変化することを認識することが大事だ。"
と言っている。

これは知識労働者自身から見ても、
組織を預かる立場においても言えることだ。

自分を律する。
それはきついことだけではない。

なぜなら、知識労働者の
「目的=欲求」を明らかにし、

そのルールに物事を判断できるなら、
無駄に悩む必要がなくなり、

気持ちよく働けるからだ。