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2015年1月11日日曜日

1月11日 人のものとしてのマネジメント



マネジメントとは人にかかわることであり

善悪にかかわることである。

マネジメントとは、仕事の絆で結ばれた
コミュニティとしての組織
において機能すべき
ものである。

共有する目的のもとに、仕事の絆で結ばれた
コミュニティとしての組織
ものである
からこそ、
マネジメントとは人にかかわることであり、善悪にかかわることである

私自身、大学で宗教学を教えていたころよりも、
コンサルタントの仕事を通じてより多くの神学を学んだ。

(「マネジメントの仕事を教える」『ニューマネジメント』誌収録)

ACTION POINT 
一緒に仕事をしている人に悪い人がいませんか。
そのことについて何かできることはありませんか。

==============

「マネジメント」とは、「旗振り役」である。

これを書いた時点のドラッカーは、目指した「組織」の理想は、
"目的"を共有した地域の「コミュニティ」のようなものだった。

だから、マネジメントに、閉じられた世界の伝統の中で
培われた「善悪」を重ねたのだと思う。

もし、そうでなければ、全て「損得」を基準にしようという話になったはずだ。

ただ、その後、企業社会の中の「組織」ではなく、
「NPO」にその理想をスライドさせたように思う。

社会的つながり、目的を求める姿、利益優先ではない姿勢。

昨日のマズローの欲求五段階に重なるが、
人の目的は、段階によってかわり、
それぞれ、そのどれもが正しい。

ただし、自分に「武器」がなく成果を上げる能力がなく、
貢献できないのであれば、組織や集団内で、
その立場は弱く、自分の判断する「善悪」を
貫くことは難しいだろう、と思う。

だが、逆かもしれないとも思う。

善悪を貫くこうとする姿勢に、
力が追いつくのかもしれない。


そうだとしたら、今は、仮に力はなくとも、
世界を救う「勇者」として、立ち上がればいいんだ。

今は、例え「レベル1の勇者」としても…。
まぁ、いつまでたっても、「レベル1」でいるのも困り者だが・・・w

企業を人体に見立てるのならば、
「成果=顧客の問題解決としての商品、
サービス、ありがとうの声」
という
エネルギーを取り込み、そのプロセスとして「利益」がでる。

そして、世間や社会という"畑"にまくことで、
新たな"価値"を生みだしてくる。

だから、"利益"を目的にするのは順序が違う。

それは、ドラッカーが、
"企業の目的は、顧客の創造"と
喝破したことにも通じる。

そして、マネジメントは、人類に寄与するがために、
ドラッカーは「人のもの」として、時代に合わせ
発展させていかねばならないと考えたのだと思う。

そのためには、「マネジメント」は、時代に応じた
旗を振り、周りを鼓舞させなければならないのだ。









2013年9月29日日曜日

【ちょっと気になるアート入門17 北斎漫画】『まさに、マンガだ!』

浮かぶ浮世は楽ばかり、潜ってみれば得ばかり?!『北斎漫画』第4編「浮腹巻」

「富嶽三十六景」がシリアスな面だとしたら「北斎漫画」は、
葛飾北斎(1760-1849)のユーモラスな一面を見せる作品。

北斎は、ゴッホ、ドガなど印象派の画家に影響を与え、
1997年、米雑誌「ライフ」の企画「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、
日本人として唯一ランクイン。

「北斎漫画」はそもそも弟子への指南書として描いた「絵手本」ですが、
その中身は、江戸の庶民の生活や風景、動物・昆虫など、
数千ものイラストを15編にわたって描かれています。

特に、初編(文化11年,1814年)から10編(文政2年,1819年)までは、
約5年間という短い期間で発刊されています。

11編~14編は、北斎漫画・全10編が、人気だったために、
リクエストに応えて作ったものですが、13編、14編になるにつれ、
精根が尽きた感じがします。

なお、15編は、北斎の死後(明治11年1878年)に出された、
遺墨集という形で刊行されました。付録と位置づける研究者もいます。

さて、メインの10編が描かれた文化・文政を含め、
江戸時代は2百数十年もの間、戦の無い極めて平和な時代。
治安も安定し、一般庶民の生活にもある程度の余裕が生まれ、教育レベルも向上。


一般庶民向けての出版物も増えていく。
人々は、粋を好み、不粋を嫌う。犯罪は、不粋の典型、ゆえに自ずと犯罪率は低かった。
そんな時代背景の中、ある意味、『北斎漫画』は、必然的に誕生したとも言えるかもしれません。

ちなみに、今では、世界で通用するマンガ(漫画)ですが、
「漫画」という言葉は、北斎が、『北斎漫画』で初めて用いた言葉。

当時は、「漫筆」という(今の言葉でいえば、“エッセイ” に近い)言葉を
自分の画に応用して「漫画」という言葉を作ったと言われる

さて、作品に目を移すと、版元も、ちょいちょい出てきて
スポンサーにしているところも面白い。

バラバラに描かれているように見えて、
その実、ストーリーや、つながりがあったりなど、
コンテクスト(文脈)を理解できれば、さらに楽しい。

剣術の試合も、北斎にかかれば、およそ真剣さが感じられない、
ナンセンス感あるふざけたものに仕上がっています…(^_^;)

まさに、マンガだ!

剣術稽古?わりとめちゃくちゃ(^-^)


2013年9月20日金曜日

【ソフトバンク惨敗!?iphone5 3つ巴の大戦争!】



並ぶdocomo  客のいないsoftbank 実は・・・。


今日は、やっぱりこの話題かな。

写真奥のdocomoには、行列ができて、
ソフトバンクには、お客さんがいない状態。


「やっぱり、docomoユーザーはiphone待ってたし、これから巻き返しだな」
「ソフトバンクは、いよいよ苦境だな」

一見すると、そう思ってしまう。
でも、事実は違う。



タネ明かしをします。

この写真は、実は、9時過ぎの神田駅周辺の駅。

ソフトバンクは、この時点で、店を開けていた。
だから、お客さんを処理できて、この時点で行列はない。

ただ、それだけのこと・・・。

写真は、事実を表すが、
その背景までは表さない。

人は、目に見えたものを、信じる。

それは、当然の心理なのだが、
正しい場合は、全てが見えている時のみだ。

しかし、人間は、「神の目」のように、
全体を見渡せすことができるのか?

否、おそらく、そうではない。

見えている物だけで、判断する。
しかし、必ず、別の可能性も
頭の片隅に残しておくべきだ。

本当にdocomoが、今回のiphone導入で、
大きくシェアを伸ばせるかもしれない。

また、取り上げなかったが、auだって、
プラチナ800MHzで、急伸するかもしれない。

何が言いたいか。


見えている事実は、あらゆることの一断片でしかなく、
すぐに、状況がかわるかもしれない。

だから、見えている今で判断するにしても、
それを固定化させてはいけない、ということだ。

これは、いいな”と思っていたことが、
変わることもあるし、その逆もまたしかり。


==

世の中には、「後家づくり」と呼ばれる仕事がある。

これは、毎週金曜日参加している朝活、
『早朝ドラッカースカイプ勉強会』で、今日でてきたキーワードだ。


後家づくりとは、19世紀のニューイングランドの船乗りたちが、
連続して大事故を起こした船につけた名である。
船主たちはその船を思い切って解体した。

今日では、優秀な人が連続して失敗しる仕事が後家づくりである。
いかに、優秀であろうと、次の者を失敗することは、確実である。
ここで、行うべきことは、その仕事を廃止し、仕事の内容を再構成することである。

そのような仕事は、組織が急成長したときや、
大きく変化したときに、生まれやすい。(中略)

通常、後家づくりは偶然から生まれる。たとえば、たまたま一人の人間のなかには
なかなか見られない2つの資質を併せ持つ者が、うまくこなしてしまったために生まれる。

                       (『ドラッカー 365の金言』より)

みなさんのまわりでもありませんか?

例えば、上手くいっていた案件が、

担当者の異動で、まわらなくなってしまったことが・・・。そして、その建て直しに、また、新たな人を投入するも、うまくいかない・・・。

ひょっとしたら、
それは、「後家づくり」の仕事かもしれない。
(そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない・・・。)

大変な仕事を押しつけられましたな・・・。

前任者に、文句の一つでも言ってやろうと思うかもしれない。

でも、それは、間違い。

その時に、その人がいなかったら、
組織自体が、立ち上がらなかった可能性があるからだ。

では、そんなときは、どうするか?
「思い切って、船を解体」することだ。
(もしくは、それを申し入れることだ。)

単純に、やめるのじゃなく、
今までのやり方を新しく組みなおすこと。

では、どうするか?1.“後家づくりの仕事”化(属人的だが、オリジナリティある大仕事)にしすぎない。
2.“ルーティンワーク”化しすぎない。

ポイントは、そのバランスだ。“ルーティンワーク”化について、少し補足をする。

人は、決められたことを、寸分変わらぬように、
“ルーティンワーク”化されていると、仕事に飽きる。

一種の、“燃え尽き症候群”かもしれない。

飽きてしまえば、仕事をなめる。
人に対しても、おろそかになる。

大事なのは、
なぜ、これするのか?
という、目的を共有することだ。

そうすれば、自ずと答えはでてくる。
流されるのは、それを考えず、惰性で、取り組むからだ。

だから、
仕事の工程は、“ルーティンワーク”にし、
内容や機能で、個性(オリジナリティ)を出せばいいのではないか?
とは、新しく参加された方の意見。

まったく、そう思う。いや、違う??

はい、はい。

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。”

でしたよね。

おあとがよろしいようで・・・。








2013年9月18日水曜日

【I have a dream】

演説をするキング牧師

I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.

私には夢がある。私の四人の幼い子ども達が、いつの日か肌の色ではなく
人格そのものによって評価される国に住めるようになるという夢です。
   
                  Martin Luther King, Jr.
          マーティン・ルーサー・キング・ジュニア

昨日のブログに、『女性専用車両』について書いたら、
いくつかのコメントを頂きました。

男性専用車両も欲しいっす。

 男性専用車両がないのは不公平だと勢いだけで発言したら妻に「あったら乗りたい?」と
聞かれ、「うぅ~ん、あまり乗りたくない」とトーンダウンしました()
でも真面目に、チカンの冤罪は恐ろしいと思います。


などなど・・・。
男性であっても、痴漢冤罪のリスクを感じていて、
「男性専用車両要望派」は、少なからずいます。


例えば、「男女同権の観点から、『男性専用車両』を作ってみよう。
それが、差別をなくすことになるよ。」という考え方も一理あります。

じゃ、イメージしてみましょう!
『男性専用車両』って、ヤツを。

車両の色は、やね。
ちなみに、女性専用車両は

やめてや、色自体がジェンダーを想定させるから、色を逆にしてとか…。
そうなれば、必ず間違って、また、もめるんだから…。

そうなると、男性週刊誌的なノリの広告でいっぱいなるんやろな…。
さらに、そこでアイドルのプロモーションをやろうとかいう話になり…。

すげー、これはこれでありかも・・・。
あ、いかんいかん…。

こんなことをするために、
『男性専用車両』を導入するんじゃないな…。

(ただ、女性専用車両への広告は、ターゲットも絞れていることもあり、
通常より広告単価は高いという話もあるそうな…。)



でも、ちなみに、女性専用車両の導入の時の、告知の費用ってばかにならない。
大阪市交通局は、平成14~16年の3年×約1,000万かかったそう(_;)


話を戻します。

キング牧師ではありませんが、「性」に関わらず、同じ「人間」同士として、
「専用車両のない」電車に乗れる日がくるというのは、遠いなのでしょうか?


今や、この国は、分断されている。
「女性専用車両」をめぐって…。

「女性専用車両」も「男性専用車両」もない。
あるのは、目的地へ連れて行く「1つの車両」だ。

なんて、オバマ大統領の「1つのアメリカ」ではないですが、
分断を乗り越える時は、くるのでしょうか?


「女性専用車両容認派」も「否定派」も、双方に理屈はある。
だからこそ、今、「自分ゴト」として考えていかないと
和解の道を歩むことがでできなくなるのではないしょうか?

ただ、あまりにも、「自分ゴト」していかないことが多くて、
処理しきれないということがあるのも事実ですが…。

って、ここまで書いていたら・・・。

しかし、すごい世の中やな。もぉー、やっとられんわ...。

2013年9月17日火曜日

【女性車両の実際的な価値について】

痴漢より、お前の顔を憶えたぞ、なんちゃって(^_^.)


先日のブログについて、facebookを通して、
少なからず、コメントを頂いたことについて、
いろいろと考えるきっかけを頂きました。

お話のポイントとしては、3つ。

3.女性車両の実際的な価値について

みなさんの関心も、思いのほか高く、
なんだかんだで、このシリーズも3回目になりました。

さて、ここで、“アファーマティブアクションと女性専用車両が、どうつながるのか?”について、
もう少し、丁寧に考えてみます。

アファーマティブアクションは、元々は、地域限定の時限立法だったそうです。
でも、日本では、それが、「ポジティブ・アクション」と変わり、
厚生労働省の後押しのもと、
女性の活躍や格差解消に推進していくことになった。

また、2000年代になると、車内における迷惑行為や痴漢行為が
社会問題として大きく取り上げられ、明瞭な犯罪として意識されるようになった。

このような状況を背景に加え、“ポジティブ・アクション”などの、
社会的背景も後押しするようになり、女性が安心して乗車できる事を
目的として女性専用を謳った車両が導入され始める事になったようです。

鉄道会社の輸送力の増強計画がすすみ、バブル経済の崩壊による都心回帰や
少子高齢化などによる利用者の減少も重なり、総じて混雑度が緩和されつつあった事も、
鉄道事業者が同車両の導入に踏み切る事ができた理由の一つだそうだ。

昨今の女性専用車両は、京王電鉄の2000年12月の試験導入から始まったそうですが、
女性専用車両は、課題解決というよりもマーケティングの要素が強いという見方もあるそうです。

さて、前置きはこのくらいにして、
今回は、『女性車両の実際的な価値について』、考えてみます。

実際的な価値は、何と言っても『痴漢の防止効果』でしょう。

こんな声がありました。

“女性専用車両は、やっぱり欲しいです。毎日のように痴漢にあって、激怒しまくるのに、
もう疲れたのと、やっぱり痴漢は怖いです。ピリピリしながら満員電車に乗るわけですから。
先日、犯人を取り押さえたら「遺伝なんで許してください」とかわけわからんロジック展開してこられて、しかも母親までやってきて、「ワンピースを着ないから、手を入れやすいんでしょ!」と言われて(え?セパレートは手を入れやすいって初めて聞いたよ?)、もうホントに疲れました。そういう意味で、気楽に乗れる女性専用車両はありがたいです。”

鉄道会社の使命を“お客様を安全・快適に目的地に輸送する”と考えた場合、
その達成に、「女性専用車両」の導入が少なからず貢献しています。

ちなみに、警察庁の資料によると、
【A】痴漢を防止するために効果的だと思うこと(男女)
【B】電車内で痴漢に遭わないように気をつけていること(女)
ともに、回答で1番高いのは、『女性専用車両の利用』でした。

だから、結論としては、僕は、「女性専用車両」について、
積極的ではないですが、現時点では賛成です。


本当は、痴漢も、痴漢冤罪も、
女性専用車両もない社会になればいいのですが・・・。

2013年9月15日日曜日

【アファーマティブアクションめぐる人々について】

先日のブログについて、facebookを通して、
少なからず、コメントを頂きました。

今の社会を考える上で、とても示唆に富んでいると感じ、
昨日に引き続き、もう少し掘り下げて考えてみることにしました。

ポイントとしては、3つ。

2.アファーマティブアクションめぐる人々について
3.女性車両の実際的な価値について



ポジティブ・アクション普及・促進のためのシンボルマーク「きらら」

 日本ではアファーマティブ・アクションの中で、特に女性に対しての積極的改善措置のことを、英語のアファーマティブ・アクション(肯定的措置)ポジティブ・ディスクリミネーション(肯定的差別)を組み合わせて造語した日本独自の和製英語でポジティブ・アクションと呼び、厚生労働省が中心となって女性の活躍や格差解消を推進しています。

具体的には、固定的な男女の役割分担意識や過去の経緯から、管理職は男性が大半を占めているなど、男女労働者の間に生じている事実上の格差の解消を目指して、女性の採用拡大・職域拡大・管理職登用の拡大など、個々の企業が進める自主的かつ積極的な取り組みをいいます。

もちろん、アファーマティブアクションやポジション・アクションには、否定的な意見もあります。
優秀な人(適材)を、適所で登用すればいいのであって、そこに男女は、関係ないのではないか?
なるほど、個人的には、なんとなく理解ができます。


ここでは、2.アファーマティブアクションめぐる人々について、考えてみます。
こんなコメントをいただきました。

>個人的な経験です。アファーマティブアクションを扇動する女性たちを見ていると、
>過去に深い心の傷を背負っている人が多いと思います。
>相当信頼関係が無いと、そのトラウマ体験を表に出すことはしません。

>それ故に、男=敵 みたいな図式が頭の中にできてしまっていて、
>感情を無理やり理屈に置き換える気がしています。

>その過激な思想と発言自身が、女性自身の社会進出を阻んて、
>男性から益々偏見と奇異の眼で見られてしまうことに、気づかないのだろうか。
>もっと、合理的で建設的に男女が仲良く暮らせる社会が実現できないものか。
>出生率2以上にしないと、この国は破たんするでしょう。

>そのためには、女性が安心して暮らせる社会を実現しないと。
>安心して子供を産み育てられる社会にしていかないと。
>いまの、男=敵 をベースとした、アファーマティブアクションには反対です。

なるほど、一理ありますね。

(1)“あとちょっとで、優遇対象になれない人々”→ “弱者”化
優遇対象でないグループによる優遇対象獲得の政治活動を誘発。

(2)“本来の意味から外れて、制度の特権だけを享受する人々、割を食う人々”
→“逆差別”化
優遇対象グループのうちでもっとも恵まれているもの(例:黒人の中・上流階級)が
非優遇対象グループのうちで、最も恵まれていないもの(例:白人の貧民層の勤勉な学生)を
犠牲とする形で制度の恩恵を浴す傾向。

(3)“努力を否定されていた人々”→“向上心”の無意味化
優遇対象側は努力する必要が無くなり、非優遇対象側は努力しても仕方がないとなり、
両方の向上心が削がれることによって、社会全体で競争が阻害される。

(4)“同じ人種の中で、階層間での戦いにはまる人々”→“引き起こされた問題”の深刻化
制度によって、優遇対象群と非優遇対象群の対立が深刻化。
アメリカを例にあげれば、白人の貧民層の黒人に対する憎悪を増幅させるだけでなく、
優遇措置と無関係の黒人の貧民層と黒人の中・上流階層の対立も…

(5)“扇動する人々”→問題の複雑化
頂いたコメントの中にもありましたように、ある特定の考えにふりきって扇動する人々や、
女性専用車両に、気づかずに入った男性に“冷たい視線”を浴びせるような人々。

このように、アファーマティブアクションには、様々な人々が関わっています。

 “弱者”になろうと画策したり、逆差別が生まれたり、向上心の減退を招いたり。
また、問題解決を複雑にする扇動する人々があらわれて、また新しい対立が生まれたり、と、
アファーマティブアクションには、確かに問題が多いかもしれません。

もちろん、社会における、アファーマティブアクションによる取り組みは、
問題解決策の1つにすぎません。

ましてや、唯一の正解じゃない。
いわば、実験です。

ただ、こういった様々な実験を繰り返す中でしか、見えてこないものだってあるはず。
取り返しのつかない実験があるのも事実です・・・。

だからこそ、我々は、これからの社会は、どのように進んでいくのか?に、
実験に関心を示しつつ、社会とのかかわり方を考えていく必要があるのです。

すみません。

また思いのほか、長くなりましたので、残りの次の機会で。

2013年9月12日木曜日

【未来のヒトラーに操られないたった1つの方法】

人間は、弱いもので、“不幸”な状況になると、、
望みを託す対象の出現を希求するもの。

困ったときの神頼み

誰もが、1度は、経験したことがあるのでは?

平たく言えば、“自分を不幸にしない”ことが、
操られないたった1つの防御策と言えるのではないでしょうか?

==

オリンピック、2020年の東京開催に決まりましたね。
賛否両論ありますが、個人的には、とても楽しみにしています。

さて、それと関連付けるわけではないですが、
歴史上、最も早く、オリンピックに神聖なイメージを与え、
国家意識と関連付けて、盛大な祝典に変えた政治家は誰か?

Source: "Kirinuke"
それは、アドルフ・ヒトラー(1889-1945)です。


ドラッカーは、ヒトラーが焦らず、じっくり5年くらいかけて、
根回しをしていれば、ヨーロッパは、全て国家社会主義に
席巻されていたかもしれないと言っています。

なぜか?

それだけ、大衆は、経済の混乱に疲弊し、苦しんでいたからです。

ドラッカーは、第1次世界大戦後の世界の状況を見て、
国家社会主義の本質は、軍国主義や弾圧や暴力ではなく、
脱経済市場主義”にあったと考えました。

だから、資本主義や社会主義にも嫌気がさしていた、
当時のヨーロッパの人々は、自らを“幸せ”にしてくれる
新しい“主義”に魅了されたのは、ある意味当然の帰結でした。
(詳しくは、『経済人の終わり-全体主義はなぜ生まれたか』)

さて、本質はわかっても、
どう扇動されたか?ということがわからないと、
どこで、道を間違えたかに気づくことはできません。

人間は誰でも自由意思で、行動しているように見えるが、
実は、人間なら共通に持っている心の動きがある。
それは、何か刺激を与えれば、誰でも同じように反応するというものだ。
例えば、暗い場所で隅から光をさしてくれば、人は光の方向に目を向ける。
(『ヒトラーの大衆扇動術』より)

ヒトラーは、“不幸な状況”を生み出した原因を、
「ドイツ民族を分裂させようと企んでいる全ての人間」のせいにして、
共通の敵”としてのユダヤ人やマルクス主義者を排斥。

つまり、“共通の敵”が出てきた場合、いったん、冷静に考えた方がいい。
誰か、得する人がいるんじゃないかと。

ただ、難しいのは、そうなるときの、
チームをまとめる“目標”、“ビジョン”の扱い方。

言い方は違えども、どう区別するのか?という問題がでてくる。
これは、「哲学」の問題。だからこそ、“良き方向”とは何か?は、重要。
(丁寧に話さないといけないので、今日のところはご勘弁を。)

さて、戦後賠償で、失業率40%とも言われた、
とんでもない“不幸な状況”の中、ドイツ国民は、
ヒトラーを生み出し、結果、意のままに動かされてしまった。

つまり、操られないたった1つの方法とは、
自分を不幸にしない”こと。

そのためにも、

1)衣食住を確保できうる経済的基盤。
2)自らを無価値にさせない社会的基盤。
この2つは、最低限、必要。

「歴史に学ぶ」ということは、
歴史上で起こったことを、現代的に解釈すること。
そして、それを自らの状況に当てはめ考え、行動すること。

そうでないと、自らの“不幸”に際し、
同じ手口で、まだ見ぬ“ヒトラー”に操られないとも、限らない…。

ちなみに、ヒトラーが、民主主義の手続きを踏んで、
政権を取ってから、まだ、100年も経っていない…。

2013年9月10日火曜日

【“集まり”のトリセツ】

ちょっとした勉強会で話してきました。

「ブログを続けよう」というテーマだったのですが、
左端:『おがぷら』代表小川さん 中央:ソーシャルおじさんズ代表 徳本さん 
ブログの続けるコツというより、コミュニティ論になりまして・・・





人が集まれば、磁場が生まれる。



“集まり”が面白いのは、生まれた磁場により、
個々人の磁力に変化が起こることです。

ここで言う“集まり”とは、サークルでも、
グループでも、コミュニティでもいいのだが、
 “メイン業務以外で繰り返し集まる機会・場所”くらいのイメージ。

また、磁力とは、
①人を惹きつける魅力
②視点の多様性
③仕事に関するスキル
くらいの意味です。

いま、自分自身、いくつかの
“集まり”に、参加させてもらっています。

その中でも、10年来参加させてもらっている『知とも』と、
まだ、参加1年未満『おがぷら』の新旧を対比させ、
“集まり”に参加するメリット?について考えてみたい。

では、『知とも』の方から。

きっかけは、元リクルートの小川さん
“社内の集まりを、社外に広げたら、面白くないか”というアイデア
それ以前から、小川さんと知り合いだった僕は、いそいそと参加。
メンバーには、ホクトの社外取締役の小竹貴子さんや、ラグビーU20監督の
中竹竜二さん野口悦敬さんなどがいて、あれよあれよと10年くらい続いています。

ちなみに、何をやっているのか、
といえば、「異業種交流会風飲み会」で、
知的な話、智的な話、痴的な話などなどジャンルを深い・・・。

続いて、『おがぷら』。

東京朝活読書会』を主催し、朝活王子などと言われる小川晋平さんのファンクラブ。

実感値としては、20代、30代前半の参加者が多く、
やっているのは、朝の時間を有効活用した
スキル系のミニセミナーが多いかな。

ところで、“個人で、ファンクラブ?、ちょっと引いたわ!” と思ったあなた、正解です。
“こんなことを個人で考えるなんて、面白い!” と思ったあなた、大正解!です
だいたいこんなことに参戦する人は、かなりの確率で、変わった人が多い。

つまり、『“集まり”に参加するメリット?』は、
いろいろな人が集まり、発生した磁場の力で
自らや周囲が影響され、磁力を持つようになる
つまり、自分や仲間の変化を垣間見ることができることだ。


僕が、『知とも』に参加したときも、
結果、上記のような体験ができた。

磁力は、②→③→①とつながり、
人は成長していくような気がする。
それは、『磁力の連鎖』と言えるかもしれない。

もちろん、単純化しすぎているかもしれないが、
少なくとも、②の磁力は、持てるようになる。

ただ、これは、問題集やって、TOEIC何点になると、
言ったような“わかりやすい”スキルではない。



だから、参加するメリットに
?、クエスチョンマーク”をつけている。

“集まり”から最大限のものを得るには、
いわば、“セレンディピティ”、
つまり、一種のセンスが必要だ。

“センス”がないと、そこで、かわされる
多様な意見に、自らを重ね合わせることができず、
得られるものが、少なくなる。

これは、“スキル”を否定しているのではない。
“スキル”はスキルで必要だ。

ただ、“センス”と“スキル”は、別モノで、
それぞれ学び方、身に着け方が違う。

センスは、スキルのようには、学べない。
ただ、それでも、センスの身に着け方がある。
例として、3つ。

①“センスのある”“面白い”、“変わった”人に近づく。
②多ジャンルの情報に触れる。
③場数を踏む。

そして、これらを実践する場として、
“集まり”に参加する
のだ。

“集まり”でより多くを得るために、
“集まり”にでる。

まぁ、トートロジーと思われるかもしれないが、
事実はそんなもの。

だから、特に若い参加者の多い、
『おがぷら』の人たちには、自分のリソースが許す限り、
必要以上に意味を求めすぎず、“集まり”に参加し、
出会った“変わった人”に声をかけるのがいいと思う。

そうすれば、なんらかしらのヒントは、必ず見つかる。
そして、“弱い紐帯の強さ”を実感するだろう。
(まぁ、問うことを通して、自ら気づくことも多いのだが…。)


ただし、“コバヤシマルテスト”みたいな問題には、
答えてもらえないことも、合わせて付け加えておく。
これは、いわば、絶望に対する向き合い方だからだ。
そんなものは、人に頼っちゃいけない。

それでも、“集まり”には、未来がある。

“人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える
しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に  
                         森信三”
だと思うから。