『風立ちぬ』 二郎とカプローニ 邂逅の場面 |
facebookに投稿をした以前のものを、ブログ転載を機に、バージョンアップさせました。
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『風立ちぬ』原画展に行ってきた。
宮崎駿の描く飛行体は、
主人公二郎が乗る鳥型飛行機や
設計した九式単座戦闘機、
カプローニが作ったCa60など、
いずれも美しくチャーミングだ。
展示された原画は、
飛行機以外も含め100点を超える。
こういう原画に添えられる
メモには、制作のプロセスが
垣間見えるので、とても面白い。
例えば、主人公の恋人の
名前は、当初"奈穂子"だったとか。
(堀辰雄の原作に由来し
"菜穂子"に変わったらしい。)
飛行機の原画に、
「適当によろしく」とか、
「まっすぐとか平行に
しばられないように」とか、
「神経質にならないこと」とか、
コメントを見つけては、思わず
クスっとさせられる。
おそらく中世の芸術家が、
工房でたくさんの作品を
分担作業で作った時も、
こういうやりとりがあったんではないか…。
映画を別の角度で楽しめる良い機会になった。
あれからほどなくして、宮崎監督は、引退を宣言した。
作品歴の中で、最も思い入れのある映画は『ハウル』 |
宮崎監督いわく“「監督になってよかったと思うことは一度もない。でも、アニメーターになってよかったと思うことはある。うまく風が描けたとか、水の処理がうまくいった、光の表現がうまくいったとか…そういうことで2、3日、短くても2、3時間は幸せになれる。でも、監督は最後に判決を受けなければ行けない。これは胃によくない」”
ただ、別の講演で宮崎監督はこうも、語っている。
「どんな仕事でも、たぶんその瞬間はやってよかったとか、意味があったという瞬間をもっている。それを見つけなければいけないという意味ではないか」と。
「どんな仕事でも、たぶんその瞬間はやってよかったとか、意味があったという瞬間をもっている。それを見つけなければいけないという意味ではないか」と。
監督として「意味がある」瞬間を追い求めた人間 宮崎駿の苦悩が垣間見えた気がした。
また、引退会見ではこうも語っている。
“「僕の尊敬している作家の堀田善衛さんが最晩年、エッセーで旧約聖書について書いたものがある。その中の文章から影響を受けている。10年という時間については、僕は絵の先生から『絵を描く仕事は38歳くらいに限界が来るから気をつけろ』といわれた。僕は18の時から修行を始めたが、監督になる前『アニメーションというのは世界の秘密をのぞき見ることだ。風や人の動きや表情やまなざしや体の筋肉の中に世界の秘密がある。そう思える仕事だ』と分かった。そのとたん、自分の仕事がやるに値する仕事だと思った。それはだんだんややこしくなるんですが、その当時、自分は本当に一生懸命やっていた。これからの10年はあっという間に終わるでしょうね」”と。
重たい言葉だ。
上の宮崎監督のコメントでふれていた堀田善衞さんは、
『空(くう)の空(くう)なればこそ』の中で、こう語っている。
『凡て汝の手に堪ふることは力をつくしてこれを為せ。』
人生を語るには、まだまだ早い。
でも、それしかない。
本当に、最後の作品になってしまうんだろうか…。 |
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