その日は、ちょうど学校があった。
ライター養成講座の仕事を終えて、
別の仕事を片付ける為に、事務所に戻った。
軽く夜食をとりながら、TVをつけた。
なかなか味のあるドラマだった。
途中で、映像が切り替わる。
飛行機が建物に突っ込む。
ビルから、人が落ちる。
意味がわからなかった。
“何これ、映画の撮影?”
リアリティを感じなかった。
変なことで、覚えている。
忘れてはいけない事件。
あれから、干支が一回りした。
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それまでは“国”だけが
“戦争”を独占していた。
「テロとの戦争」、その構図が崩れた。
ありとあらゆるものが崩れた。
何か確固としたものがあった。
それが“崩れた。”果たしてそうなのか?
今まで、厳然とあったもの。
それは、実は、強固なものでなく、
ゆっくりだけど、着実に変化していた。
しかし、動かないと誤認していた。
その動くスピードは、変化する。
また、動き方も変わる。
「方丈記」にあるとおりだ。
消えたうたかた、生まれるクラムボン。
われても末に逢はむとぞ思ふ。
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僕らは、通常、今日の次に、
明日が来ると思っている。
だから、明日の約束をする。
でも、日常が切れる日は、急に訪れる。
予兆はゆっくり、だが着実に起こっている。
変化についていけないのは、早いときばかりじゃない。
認識できない小さな変化に、
人はついていけない。
誤差とか、変化を認めないカタチでやりすごす。
変化は、起こっている。
では、準備ができているか。
想像すらできていないのではないか?
だから、架空の世界に身を置こう。
自分の居場所を変えてみよう。
歴史に“もしも”はないが、その“もしも”を想像しよう。
おそらく、変化なんてこないよ、
そんなのは、特別さと思っていれば、
余計なシミュレーションは時間のムダだ。
「オッカムの剃刀」
ある事柄を説明するために、
必要以上に多くを仮定するべきではない。
人間の認知能力に限界がある以上、
あらゆることを想定することは不可能だ。
しかし、“想定外”を“想定”する。
それは、いやな未来を
想像することになろうとも、
必要なことかもしれない。
明日の自分を生き抜くために。
仮に、想定したことに、
今は、対応ができなく、つらくても。
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