祝!東京オリンピック2020開催決定! |
いまを遡ること49年前の1964年。
僕らの両親や祖父母世代の胸を躍らせるイベントがあった。
『東京オリンピック1964』。
今までは、『東京オリンピック』と呼ばれていたが、
2020年の開催がきまったことにより、これからは、
年号をつけて『東京オリンピック1964』と呼ばれることになるだろう。
今回、『東京オリンピック1964』で、多くの優秀な才能が、
競うように手がけたそのデザインワークの数々を見に行った。
「やはり、すごいな、デザインの力は。」
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日本の戦後史における一大イベント、
『東京オリンピック1964』。
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オリンピックとはいうまでもなく、スポーツの祭典だ。
だが、昭和39年に開催された『東京オリンピック1964』は、
第二次世界大戦で大きな打撃を受けた日本が、
その終結からおよそ20年を経て、奇跡的な経済復興を
成し遂げたことを国際社会に示す、威信をかけた国家イベントだった。
そして、日本のデザイナーたちにとっても、
総力を挙げて取り組んだ、一大デザインプロジェクトでもあった。
東京でのオリンピック開催が決定すると、
1960年には「デザイン懇談会」が組織され、
まず、デザインポリシーが決められました。
まず、全体調整は、デザイン評論家の勝見勝が担当。
シンボルマークとポスターは亀倉雄策、
書体、入場券および表彰状を原弘、
色の使用、バッジ、ワッペンを河野鷹思、
聖火リレーのトーチを柳宗理、
また、施設案内のためのピクトグラム、プログラムや会場案内図などの制作は、
田中一光をはじめとする当時の若手デザイナーたちが組織的に取り組んだ。
特に、ピクトグラムは走り高跳びのように、言語の壁を越えて、
重量挙げのように、円滑なオペレーションをしっかり支え、
その後の国際イベントのモデルケースになった。
シンプルで、力強い躍動感のあるポスターは、人々の興味を駆り立てた。
こうした一連のデザインワークは、オリンピックを通じて、
デザインの力を、国民に身近に感じさせることにつながった。
また、五輪に関連づけた記念切手や菓子類などの商品は、資金面で運営を助けた。
こういうのも、デザインの持つ波及効果だ。
「企画だけでは、現場が付いてこない。
円滑なオペレーションだけでは、ブレイクスルーしない。
デザインだけでは、ブランド効果に繋がらない。
何が欠けても、良い結果には繋がらない。
でも、たまぁに1つだけ突出した迫力あるものが、
全てを凌駕する瞬間もある。ビジネスって解が無いね。」と先輩。
僕もそう思う。
2020年にも、また、新しいデザインや
数々のイノベーションが生まれることだろう。
大いに楽しみである。
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