2010年5月31日月曜日

「穴だらけの金庫」

今朝の日経をよんでいたら、気になる言葉がでていた。

穴だらけの金庫、『「負担なき給付」の蹉跌』という
記事(http://bit.ly/d8WIMi)の横のドラッカーの言葉。

「予算編成が歳出~スタートするならば、徴税に節度がなくなる。
 
歳出は、政治家が票を買うための手段となる」(『ポスト資本主義社会』)

まさに、言うとおりだ。

個人では、多くの人が、収入の中で、生活をしようと思っているが、
国や地方にお願いする場合は、そのあたりは、全然気にしない。
だから、だめだと他人や政府を批判することはたやすい。
もちろん、ほっておくこともできない。

かと言って、一人で、けりをつけることはできない。


どうする?


自分で、できることをせずに、人を批判することは、卑怯だ。
自分のできうることをし、相手を認める。その上で、批判することは、批判する。

そのためにも、自分のことは、自分の範囲でやるための道筋をつくることだ。
そして、それを実行するためにも、自分で、戦える知恵をつけ、武器をつくることだ。

自分で自分のやれることをし、自分の意見をいい、自分の落とし前をつけるんだ。
でないと、気づかないうちに、自分の信条を、お金と交換することになる―――。

それは、とても悲しいことだと思う。


だから、できることから始めよう。

すくなくとも、「穴だらけの金庫」に、穴を防ぐために、    
お金をもらえるからという理由だけで、政党を支持することしない。


そう、決めようと思う。

2010年5月29日土曜日

『雲のような人』

昨日、久しぶりに、『雲のような人』にあった。

昔から、懇意にして頂いている『雲のような人』は、いつも突然、連絡をくれる。



『雲のような人』は、とても、将来、リタイアしたら、

バリで、サーフィンをして暮らすといって、

バリに、サーフィンスクールを作ってしまう。



そんなことをさりげなくやってしまう人だ。

そう、『雲のような人』は、稼ぐ力も、もっているのだ。



今回は、仕事の一部を、手伝ってくれないかというお話だった。

他の人が言えば、ちょっと荒唐無稽な話と思えるかもしれないが、

『雲のような人』が言えば、なんとなくそのビジョンを共有できてしまうのだ。



具体的な話は、これからだが、

なんとなく、出来る気になってしまうのだ。



たぶん、理由は、こうだ。



1.相手にわかるメリットをみせる。


2.道筋と実績をみせる。


3.選択肢を与える。



人に何かをさせる上での、基本だが、

そんなことを、『雲のような人』は、さりげなくやってしまうのだ。



計算しているかどうかは、わからない。

自然とそのような思考をしているのか、わからない。

でも、不思議と一緒にいて、心地のよさを感じるのだ。

そう、『雲のような人』は、つかみどころがないのだ。



話が終わって、別れたあと、背中を眺めていると、

『雲のような人』は、また、すーっと、人の波に、隠れていった。

2010年5月27日木曜日

『背中を押す男』

さぼっていたブログを久々に更新。

昨日、「広告業界人のための、ツイッターセミナー」に参加した。
そこで、講演をされていたトライバルメディアハウスの池田さんが、
口を酸っぱく、酸っぱく言われていた。
ブログとツイッターは、親和性ありますよ、両方やりましょうと。



感謝は、行動で示さねばならない。
てなわけで、背中をおされ、久々に更新した次第。

お話は、
①ソーシャルメディアとは?
②何をすべきか?何をしないべきか?
③効果測定をどうするか?
④できること、できないこと?を中心に、池田さんが、講演。
最後に、Z会の寺西さんとの対談形式をとりつつ、広告主の立場からご意見を頂く。


①ソーシャルメディア≒CGM。

CGM(Consumer Generated Media)
=UGC(User Generated Content)の集合体。

つまり、ツイート、ブログのエントリーなどのユーザーが作り出す
1つ1つのコンテンツ(UGC)の集積が、巨大化し、メディア力を有する1つの塊。
ソーシャルメディアと線ひく場合、「つながる」「協力しあう」要素を強く含むもの。

②何をすべきか?何をしないべきか?
何をすべきか?: 誠実に、理解をしてもらうよう関係性をつくる努力。まずは、お友達からというスタンス。
何をしないべきか?:街宣車。

ソーシャル=公園。
そこで、それぞれの趣味を持つ人たちが集い、各々好きなことをしている。
そこに、街宣車を乗り付けて、 拡声器で、がなるようなことは、
人のマナーとしてどうでしょうか?

だから、「この場を借りてご案内させて頂く」というスタンスが大事。
そのための関係性を気づくには、やはり時間がかかる。

だから、短期的な収益をあげることを目標に、拙速であってはいけない。

③効果測定をどうするか?
まず、R=リターンをきめましょう。求めるのは、効率か、効果かということ。

そこで、クライアントが「ソーシャルマーケティングをしたい」と言われたら、
ベストな返答は、「なんでですか?」

それによって、Rが決まるからだ。

④できること、できないこと。

できること:明日の売上作り:潜在顧客の育成。
できないこと:今日の売上作り:顕在顧客の刈り取り。
ソーシャルメディアは、魔法の杖じゃない。

ソーシャルメディアを使ったマーケティングは、今までの媒体の苦手だった部分を補うもので、得手不得手は当然ある。
不特定多数に、たくさんアプローチするなら、やはりテレビの効果は高いよ。(視聴率1%=100万人)

あとは、知識を血肉化すべく、ツールを使いながら、
ソーシャルの海の泳ぎ方を覚えていこう。


セミナーの気づきなどは、ツイッターで、#kizuna_semi からどうぞ。

2010年3月18日木曜日

『透明の美しさ』

議論は、透明性の高いオープンな方がいいと言われている。
公平・中立な議論は、オープンだからこそ、できるのだと。

果たしてそうか?

オープンな場での議論でも、根回しを行い、意見のすり合わせなど、
事前に、多数派工作をしていれば、舞台裏で決まっているのと、同じだ。

また、そういう状況を作らせないようにと、参加者を、
特定の者の監視下に置くのは、個人間の通信手段の
発達しているこの時代、特定の場合を除き、事実上不可能だ。

上記の理由から、オープンな場での議論だからと言って、
公正・中立を担保しないことになる。

そもそも、公正・中立は、最高の価値なのか?
むしろ、問われるのは、次の質問ではないか?

1.議論の本質とは、そもそも、何なのか?
2.なぜ、オープンな場での、議論を求められるのか?
3.なぜ、議論をするほうが、しない場合よりいいのか?

上の3つの質問について、一言で答えるとすれば、
議論を行うのは、公正・中立を担保するためでなく、
納得感の醸成と結論の質の向上の為だと思う。

納得感の醸成が、必要なのは、組織の構成員が、決定に関与し、
決定されたことにコミットし、議論を通して得られた結論の実現に向けて、
力を合わすことにつながるからだ。

結論の質の向上が、必要なのは、現在もっている資源を、
最も有効に活用し、最大限のベネフィットを引き出すことにつながるからだ。

だからこそ、そのためにも、最低限、以下のことは、必要だ。

1.決定前に、できる限り、色々な立場の意見を聞くこと。
2.決定したことについて、できる限り、丁寧に説明すること。
3.決定したことの責任を持つ、つまり、成果を出すこと。

結局、議論の目指すものは、「オープン」というポーズではなく、
いろんな立場・階層の人々が、同じ目的を共有し、
その実現に邁進することだと思う。

だから、『ガラス張り』、『透明性』などと形容される“オープン”ということに、
こだわりすぎることなく、物事を決定する人間は、最適解を求めればいいのだ。

透明なものは、透明だから、美しいのではなく、
透明なものが、光を反射し、集約することで、生まれる輝きこそが、美しいのだ。

今こそ、形ばかりの『オープンな議論』から離れ、
本来の議論の意味を、取り戻すべきだと思う。

2010年3月16日火曜日

『スターウォーズ』と物語の黄金パターン 

スターウォーズのエピソードⅣ-Ⅵを一気に見た。

爽快感がある。



これは、スターウォーズを見たことによるものか、

それとも、一気に見たことによるものかはわからないが、とにかく、面白かった。



平凡な主人公が、日常から飛び出し、師を得、

友を携え、敵を倒し、平和な日常を取り戻す。



話の展開は、黄金パターンだ。

要は、そのパターンを、どう生きるかだ。



物語は、人生を抽象化したものだと言える。



であれば、自分を、映画の主人公だと思って、

自分の人生の物語を生きるのだと思えばいい。



つらいことも、楽しいことも、

人生の1コマだ。



だとしたら、自分の人生を上から見ている監督に、

しっかり、演技を見てもらえばいいんだ。



「人は、生きてきたようにしか、死ねない。」



生きて、今、していることが、

死ぬことに、つながっていくのだと思う。



だから、無茶なことはできないと思うし、

すべきではないと思う。



それを感覚的に、教えてきたのが、

宗教なのかもしれない・・・。



あんまり、思いつめると、だんだん気が重くなる。

さぁ、気を取り直して、エピソードⅠ-Ⅲを見るとしよう。



・・・



スターウォーズのエピソードⅠ-Ⅲを一気に見た。

爽快感がある・・・。

2010年3月12日金曜日

『吾唯知足』と『吾未不知足』

『吾唯知足』は、難しい言葉だ。
言い訳には、もってこいとも言える。なぜか?

現状に甘んじることと、自分の限界にチャレンジして、
今を受け入れることの差は見えにくいからだ。

欲望の際限無さが、環境を破壊してきた。
そのことが、生物の多様性を、失わせてきた。

だから、欲望を、無限にふくらましてはならない。
「これで充分」、と言える心のゆとりを持たねばならない。

わかる。
その通りだ。

しかし、そんな言葉をみんながわかっていれば、
ダイエット業界は、壊滅するにきまっている。

「足ることを知る人は、心は穏やかであり、
足ることを知らない人は、心はいつも乱れている。」
とお釈迦様はおっしゃったそうだ。

そのとおりだろう。
しかし、「欲望」が、人類を成長させてくれたことも、事実だ。

オチとしては、「バランス」なのだが、
それも、面白くない。

『吾未不知足』
(われ いまだ たるをしらず)


Still Young,Still Hungry.

ちょっと、おっさんぽいけど、それも、また良し。

エゴが、どこまで行けば、満たされるのか、わからないし、
どんな悪影響をもたらすかもわからない。

ただ、自分を満たせないものが、
人を幸せにすることはない。

2010年3月10日水曜日

「イチゴ3個で、チョーHappy!」

「ラッキー!!!」
朝から、娘がハイテンション。

「なんで?」と僕。
「お弁当に、イチゴをね、3個入れたよって、言っただけなんだけどね。」とヨメ。

子供が、ハイテンションになる理由は、案外というか、めちゃ、単純だ。
シンプルライフと言えば、それまでだが、なかなかの「シンプルさ」だ。素晴らしい。

子供は、当然ながら、生を享けて、過ごした時間が、短い。
だから、色々なことが新鮮で、すぐに、喜ぶし、すぐに、泣く。

感受性が豊かなのだとも言える。
それは、色々なことに、初めて出会うことが多いからだろう。

つまり、新しいことに、どんどんチャレンジしていけば、 起こる出来事を、
新鮮に感じることができ、その感受性は、維持されるのかもしれない。

だけど、大人は、変化を嫌う。変化を恐れる。変化を受け入れない。
その大人とは、僕のことだ。

ただ、自分では、“変化を嫌う”と言いながら、“新しもの好き”なところがあり、
“変化”の中にある、“新しい部分”や、 “マニア心(自分が価値を置くお宝)”を
くすぐる部分を、なんとか状況の中に見出し、人生の辻褄を合わせている。

面白い。

これからも、このセンサーで、行こうと思う。
子供のように、もう純粋に物事を新鮮に感じることは、おそらくできない。
知らないことに、興味を持ちチャレンジを続けることができるかは、わからない。
でも、世の中には、「イチゴ3個で、チョーHappy!」になる人間が、身近にいる。

自分の目を通さずとも、身近なものの目を通すことで、
広がる世界を、楽しみたいと思う。